希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

英作文参考書の歴史(17)山田和男『英作文研究:方法と実践』(1952)

英作文参考書の最高峰

○ 山田和男『英作文研究:方法と実践』文建書房、1952(昭和27)年7月1日初版。
 6+309頁。
          写真は1954(昭和29)年3月31日発行の修訂重版

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この本は、著者自ら「大学の学生、あるいはそれ以上の人を目標にして書いた」とあるように、大学受験用ではない。
しかし、日本の英作文参考書史を語る上で、決して素通りできない本である。

日本が誇る英文ライターとしては、武信由太郎、勝俣銓吉郎、伊地知純正などの凄腕がすぐに浮かぶ。
だが、戦後を代表する人物としては、山田和男(1906~1985)の名前を挙げないわけにはいくまい。
和文英訳といえば山田和男」(小川芳男)だったのである。

その実力は、東京外国語学校を卒業した年に岸田国士の戯曲集『屋上庭園』を英訳して出版したことや、月刊『英語青年』の「和文英訳練習欄」を1949(昭和24)年から30年以上にわたって担当したことからも明らかである。
この和文英訳欄を通じて、英作文力を鍛えられた全国の英語関係者は膨大な数にのぼるだろう。

また、山田和男編の『クラウン和英辞典』(三省堂、1961;改訂版1967)は、30万枚の資料カードから学習者のために用例を厳選して編み上げたもの。平易かつ適切な訳語が光る学習用和英辞典の逸品だった。

山田の用例カードについては、東京外語で3年後輩だった小川芳男(東京外大元学長)が『英語交友録』(三省堂、1983)で面白いエピソードを紹介している。

「山田さんは英語の本は必ず二冊購入し、一冊を普通の読書用に、他方は気に入った表現に印をつけて、その多くはタイプライターで打って整理するということでした。英作文に上達するためにはタイプライターが打てなければいけないとおっしゃるので、それを私の子供に実行させたところ、ほんとうにできるようになったという楽しい思い出もあります。」(49頁)

なお、以前に紹介した佐々木高政は一橋大での山田の同僚で、「あの頃のこと:山田和男教授点描」を『一橋論叢』第62巻5号(1969年11月)に書いている。同号には「山田和男名誉教授略歴」も掲載されている。『英語青年』 1986年5月号は山田和男氏追悼特集。この他、山川喜久男「山田教授の想い出」(大修館『英語教育』1985年4月号)や、星山三郎「良心的な山田先生の想い出」(JACET, 57)も山田研究の必読文献だ。

さて、山田の『英作文研究:方法と実践』は、参考書としては小振りだが、中身がギッシリ詰まっている。
全体は三部構成で、第一部「方法」、第二部「実践」、第三部「参考」(現代日本文学の英訳例)である。

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第一部「方法」は、山田が培ってきた英作文の秘伝を文字にして語っている部分である。宮本武蔵の『五輪の書』のようなものだ。
ただし、山田は冒頭の「序説」で、「英作文を勉強するには何かよい方法はないであろうか」との質問に対して、次のようにクギを刺している。

「第一に練習、第二に練習、第三に練習。この他に上達の道はない。だがそれと同時に出来るだけ広範囲の読書をして英語の語彙をふやし、それを活用することも必要である。」

安易なコツなどないのである。英作文の巨匠の弁として、謙虚に耳を傾けたい。

こう述べた後で、山田は「Ⅱ. 読書の種類と方法」へと進む。
「英語で書かれた文学に親しむことは英作文上達の秘訣の一つであると固く信じている」(7頁)からだ。

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続く「Ⅲ. 英語に英語らしさを与えるもの」は、名詞構文から始まり、上級レベルの英作文では特に押さえておかなければならない点だ。ここに14頁も割いていることに、山田の意気込みが感じられる。

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次の「分解的な表現」は山田の命名で、たとえば「彼は私の頭を殴った」という場合に、まずHe struck meとして全体を呈示し、次にon the headという狭い場所を示す英語独特の「分解的な」表現法を述べている。

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このように、英語表現の特質を、日本語との対比から、じっくり考察している。実に面白い部分だ。

以上をまとめて、山田は次のように総括している。

「英作文の上達には出来るだけ沢山易しい現代の英語を読み、それを真似、それで覚えた英語らしい表現を利用して、但し特に気取った書き方をして人を驚かそうなどとはせず、出来るだけ素直で自然な英語を書くようにすることが大切だ」(54頁)

噛みしめるべき言葉だろう。

巨匠と呼ばれる人たちは、「こうすれば簡単にできる」などという言い方を決してしない。
そんなもの、どこにもないからだ。
苦労して獲得したものしか、自分のものにはならない。

*ついでに偉そうに言うと、このブログで僕が書いたことを誰かが論文に無断で引用しても、僕はかまわない。参考書の功績が再認識されればそれでいいし、何よりも苦労して原本を集め、それを読んで書いた文章と、他人から引き写しにした文章とは自ずと生命力が異なるからだ。(ちょっと花見酒に酔ったかな・・・)(^_^;)

「Ⅳ. 練習方法」では、多くのことが述べられているが、ここでは最初の言葉を引用するにとどめたい。

「自分一人で和文英訳の練習をするには、殊にはじめのうちは、あまり短いものは原文に選ばず、むしろ長いものを訳すようにする、そして和英辞書はなるべく使わず、必要な場合は英々辞書あるいは英和辞書を用いるようにするのが一番良いと思う。」

こうして第二部「実践」へ進む。
注目されるのは、ほとんどすべての演習題の「語句」や「註」に米英作家からの引用文が用いられていることである。
第一部で述べられていた「英語で書かれた文学に親しむことは英作文上達の秘訣の一つである」という信念が実地に示されているわけだ。

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英作文は「英借文」だと言われるが、ここまで徹底すると感嘆するしかない。
その裏に、山田の膨大な読書の基づく用例カードの存在があったことは、すでに述べたとおりである。

第三部「参考」などとつつましいタイトルだが、中身は現代日本文学の英訳例」である。

このレベルの和文英訳を「参考書」に収められる人物が、日本にどれほどいるのだろうか。もちろん、ネイティブチェックなどない。

まずは川端康成の「夏の靴」。
冒頭に翻訳の方針が「訳文の文体は出来るだけ今日のアメリカ小説(中略)その中でやさしいスタイルで書く人々のそれに近づけてみたつもり」だと書かれている。ヘミングウェイ風の川端康成か。

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僕にはもうため息しか出ない。「ふー」

『英語青年』の本書への書評は、「いわゆる『英作文即英借文』ということをこれだけの用意をもって示されると、勉強というものの底光りに打たれる思いがする」と評している。同感だ。

生徒・学生に教えるのに、これほどのレベルの力量は要らないのではないか。
そう思うかもしれない。
だが、山田はそうは考えなかった。
小川芳男が語る山田の言葉を最後に引用しよう(『英語交友録』49頁)。

「山田さんの言葉で忘れられないのは、日本人の英語は中学の教科書に出ている英語で十分だという人があるが、中学の英語だけ知っていたのでは中学程度の作文を作ることもできない。それよりはるかに広い英語を知っていてはじめて中学程度の作文が書けると言うのです。三百語駆使するためには、三百語だけでは駄目で、一千語くらい知っていることが必要だということです。」

今日から新学期。
英語科教育法の最初の授業で紹介する言葉が、これで決まった。