予備校講師による「実況中継」の先駆的作品
○ 加賀谷林之助『大学受験 和英・英作徹底講義』北星堂書店、1955(昭和30)年4月10日発行7+2+259頁。 *写真は1955(昭和30)年11月30日発行の再版
加賀谷林之助は、鈴木長十らと共に駿台予備校の英語講師だった。
彼の英語参考書としては、『生きた英文法 : 新制受驗參考』昇龍堂書店(1928)、『早く覚える英語の絵解き』昇龍堂書店(1933)、『和文英訳の公式』昇龍堂書店(改訂増補版1944)、『新時代の英文法』七星社(1949)などがある。
「私が駿台に来たとき、英語科の中心は鈴木長十さんと加賀谷林之助さんの二人。その加賀谷さんに「手伝ってくれ」と言われて、来たのが昭和28年だったと思 うんです。昔、東大文化指導会というのがあって、受験指導や一般教養の講義をサンデー・スクール、サマー・スクールという名で開いていた。私は東大の学生の頃からそこにいて、27年ごろは会の責任者だった。その頃、東京英会話学院が予備校を作るという話があって、そこの校長に「文化指導会の学生を引き連れ てきてくれ」と頼まれたんです。そこで指導会の講師たちを中心にして千代田予備校が生まれた。その講師たちを加賀谷さんが次々と駿台に引っぱって来たのです。」
*東大学生文化指導会編『大学への英文解釈』(1953)については過去ログ参照。
本書『大学受験 和英・英作徹底講義』も、こうした予備校での指導を「実況中継」風に書物にしたものである。
「実況中継」といえば、山口俊治の『英文法講義の実況中継』(語学春秋社、1985)などが有名だが、本書は「徹底講義」という名称で、1950年代に一種の「実況中継」をした先駆的な作品だ。
ただし、予備校での講義録の元祖は古く、1919(大正8)年には斎藤秀三郎らの『正則英語学校講義録』が出ている(名著普及会による復刻版あり)。
さて、本書の成立事情は、「まえがき」に次のように書かれている。
「実に長い年数予備校の和文英訳の講師をして来ました。進駐軍の翻訳員になっても和文英訳をやり、大学での授業も主として英作文をやるという始末です。和英は生涯わたくしにつきまとった運命的仕事であるのかも知れません。
ところが同僚や学生生徒たちから『お前が講義した通りの書物を出したらみんなのためになりはしないか』とたびたび言われるので、ついその気になって筆を執ってみたのです。(中略)こうした御指導をして来た私の実際の言葉を紙の上に移したテープレコードが本書であります。」
ところが同僚や学生生徒たちから『お前が講義した通りの書物を出したらみんなのためになりはしないか』とたびたび言われるので、ついその気になって筆を執ってみたのです。(中略)こうした御指導をして来た私の実際の言葉を紙の上に移したテープレコードが本書であります。」
本書の構成は以下の通り。
第一編「基礎の知識」では、英文の基本構造を日本語と対比しながら丁寧に説いている。
特徴的なのは、英文の基本構造を分解し、図解していることである。
この手法は、原仙作の『英文標準問題精講』(初版1933)に通じるものがある。
こうした構造分解は、ほとんどの例文でなされている。
例文の多くは入試問題から採られており、出題校が一覧表にまとめられている。
さすが、タイトルに「大学受験」を明記しているだけのことはある。
さすが、タイトルに「大学受験」を明記しているだけのことはある。
第一編の「基礎知識」は全体の65%を占めるほど懇切丁寧なものだ。
だが、続く第二編「公式の知識」は、練習問題を入れてもたった19頁だけで、中途半端である。
加賀谷にはすでに『和文英訳の公式』昇龍堂書店(改訂増補版1944)といった著作もあり、本書刊行の半前年には前回紹介した渡辺秀雄の『公式応用 和文英訳研究』が出ているから、本書では「公式」の比重を軽くしたのかもしれない。
第三編「よき英文の書き方」は、的確な単語の選択法や文体の統一など、かなり高度な講義となっている。
第四編「特殊和文英訳と英作文」は、全文訳ではない特殊な出題例を集め、英語で感想を書かせる問題や、自由英作文などへの対処法が述べられている。
さすがは、当時の駿台予備校。レベルの高い指導が展開されている。
自由英作文などに便利かと思うが、解説も例文もまったくないから、かなり腕の立つ受験生でないと使いこなせないだろう。
これで終わり。
索引がないのは、使いにくかろう。
索引がないのは、使いにくかろう。
本書で光るのは、まず第一編の「基礎知識」だ。
図解も豊富で、予備校の授業が目の前に展開されるようである。
著者の語りにも味があり、通読すると大いに勉強になる。
図解も豊富で、予備校の授業が目の前に展開されるようである。
著者の語りにも味があり、通読すると大いに勉強になる。
例文の「我と来て遊べや親のない雀」(217頁)など、皆さんならどう訳されるだろうか。
加賀谷の解説によれば、この句は小林一茶が6歳のときに詠んだ句とのことだ。「親のない雀」とは、この句が作られる3年前の明和2年8月17日に母親が亡くなったから、その悲しい境遇を雀に託して詠み込んだもの。
ところが、「父の方はこの5年にまだ存命なのだから親のない雀は”An orphan sparrow”といってはいけないので”a motherless sparrow”である。」
ということで、加賀谷の訳は次の通り。
O Sparrow,
Come and play with me,
Thou motherless sparrow!えも言えぬこの感動は、なんなんだろう。