3. 添削会会員の驚異的な合格率
欧文社通信添削会の成長ぶりは、当時の広告から窺い知ることができる。
研究社『上級英語 臨時増刊・英語問題研究号』に掲載された欧文社通信添削会の広告の変化を見てみよう。
1933(昭和8)年4月号も半ページ(欧文社としては1ページ)広告。
「正に受験界に欧文社時代は出現した。合格者の数に於て率に於て他の如何なる予備校も、通信教授も到底及び得ざる本会の真価が如何なるものなるかを見られよ。」と抽象的。
「正に受験界に欧文社時代は出現した。合格者の数に於て率に於て他の如何なる予備校も、通信教授も到底及び得ざる本会の真価が如何なるものなるかを見られよ。」と抽象的。
1934(昭和9)年4月号では、ついに2ページブチ抜きの広告となる。
「今や全受験界に欧文社の真価は認められ、欧文社の添削さへ受ければ突破出来る、と云ふ定評さへ生ずるに至りました。(中略)八年度秋期東船には本会々員の合格者は十五名、神船には十三名、九年度東師には実に五十七名、広師には三十二名、海兵には二十五名、陸士は(中略)実数は六十名を突破する見込みです。」
と、大いに誇示している。
1935(昭和10)年4月 2ページ広告。「合格率は八〇%を突破し、合格数は合格者の三分の一を占め、しかも一流学校の首席合格者の過半数以上を占め、通信添削と云へば欧文社を連想し、欧文社と云へば通信添削教授を連想せしめ(中略)東師に八〇名、広師に四十九名、海兵海機で八十七名、陸士は百名を遙に突破しています。」
1936(昭和11)年4月 2ページ広告。「本年度の入試の魁をなす、陸海軍、東西高師等には欧文社通信添削会員は物凄い合格率をあげ、実に全合格者の半数以上を欧文社の会員に依って掌握したのです。」
1937(昭和12)年4月 半ページ(欧文社としては1ページ)広告。「欧文社会員の合格率は八〇%以上、合格者は全上級学校合格者数の半数に達せんとする。」
しかし、広告はしょせん広告。実際はどうだったのだろうか。
一般に、文系の方が理系よりも会員占有率が高い。
その理由は、文系入試で比重の高い英語が添削のメリットを生かしやすいためだと思われる。
現に、最も占有率が高かったのは大阪外国語学校(現・大阪大学外国語学部)の77.3%だった。
面白いことに、2浪の末に同校に合格した司馬遼太郎の本名「福田定一」も上記の『合格者一覧』(31頁)に掲載されている。→過去ログ
その理由は、文系入試で比重の高い英語が添削のメリットを生かしやすいためだと思われる。
現に、最も占有率が高かったのは大阪外国語学校(現・大阪大学外国語学部)の77.3%だった。
面白いことに、2浪の末に同校に合格した司馬遼太郎の本名「福田定一」も上記の『合格者一覧』(31頁)に掲載されている。→過去ログ
高校で最も占有率が高かったのは姫路高校の70.6%で、ナンバースクールを見ると、一高(58.3%)、二高(49.8%)、三高(56.9%)、四高(59.7%)、五高(40.2%)、六高(51.2%)、七高(49.4%)、八高(58.9%)だった。
学校種別のトップは、高等工業学校が徳島の64.0%、高等商業が名古屋の72.7%、高等農林が岐阜の51.2%、医歯薬系が大阪帝大臨時医学専門部の64.0%、大学予科等が神戸商業大予科の72.4%、高等師範が広島の64.9%で、いずれも東京圏以外の学校である。
このことは、多数の予備校が集中していた東京方面の受験生とは異なり、特に地方の若者にとっては低廉な費用で在宅のまま受験指導を受けられる通信添削が重宝な存在だったことを窺わせる。
明治・大正期には受験準備のために上京し、予備校等に通うことが一般的だった。
しかし、欧文社通信添削会に代表される通信教育の普及は、受験準備の一極集中を打破し、進学機会の均等化に貢献したといえよう。
しかし、欧文社通信添削会に代表される通信教育の普及は、受験準備の一極集中を打破し、進学機会の均等化に貢献したといえよう。
(つづく)