希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

通信添削の歩み

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10代の頃、大学受験をひかえて英協の通信添削を受けていた。
毎回、赤ペンで直しが入り、温かい励ましの言葉が書かれていた。
田舎の孤独な受験生にとって、どれほどありがたかったことか。
(今は中3の息子が、進研ゼミの通信添削を受けている。)

英協(日本英語教育協会)の通信添削のルーツをたどると、1931(昭和6)年9月に赤尾好夫が設立した欧文社通信添削会(写真・下)に行き着く。旺文社の前身だ。
最初の受講生はたった17名だったという。

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この通信添削が大当たりし、旺文社は一大受験出版社に成長する。
だが、アジア太平洋戦争中に戦意高揚キャンペーンに走りすぎて、敗戦直後には「戦犯出版社」に指定され、赤尾は一時期、公職追放になる。

「赤尾の豆単」とともにお世話になったのが月刊誌『蛍雪時代』。
このルーツも、1932(昭和7)年10月に創刊された通信添削会の会員誌『受験旬報』にさかのぼる。

それが一般用の受験総合雑誌蛍雪時代』に発展したのは1941(昭和16)年10月のことだ。
この雑誌は受験生の良き相談相手となり、現在も発行されている。

写真は、1961(昭和36)年6月号。
戦前からの「添削」のノウハウを活かして、「誌上添削教室 答案診断室」を連載していた。

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英語の担当は当時東京教育大学助教授だった櫻庭信之氏と都立大泉高校の広瀬和清氏。
櫻庭氏は小学校英語教育の実践家としても知られ、講演を拝聴したことがある。驚異的な記憶力に舌を巻いた。

先ほど、半徹夜で大修館『英語教育』1月号の原稿「もしも教科書検定制度がなくなったら」を書き終えた。
ホッとするまもなく、あさって15日(日)に京都で開催される日本英語教育史学会月例研究会の準備をしなければならない。ふー。

発表タイトルは「英語通信教育の歴史(3):欧文社通信添削会を中心に」
どなたでも参加いただけます。

若き日の受験の想い出を語り合いませんか。(^_^;)
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