希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

研究発表を終えて

11月15日(日)、秋晴れの京都で開催された日本英語教育史学会第225回月例研究会で、「英語通信教育の歴史(3):欧文社通信添削会を中心に」と題して発表しました。

はるばる東京や広島などから参加してくださった会員や、大学院でご指導をいただいた恩師の青木庸效先生(神戸大学名誉教授)とお嬢様にもお目にかかれて、とても充実した一日でした。

英語通信教育の歴史の謎の多さと奥深さに魅せられ、今年1月、5月に続く3回目の発表でした。
まだジグソーのピースは半分ほどでしょうか。
制度化された学校以外の「自立的で多様な学び」を解明したいと思っています。

明治以降の通信教育は、経済的事情などから中等教育機会に恵まれない人々の勉学欲求を満たすものでした。

しかし、1931年発足の欧文社は、中等学校在籍者の進学欲求に丁寧に対応し、添削という親切な個別指導と徹底した情報提供力で急成長をとげ、戦後も受験界に君臨しました。
受験英語と日本人」を研究する上で主役級の存在です。

欧文社通信添削会の合格率は80%にも達したと言われ、私の調査では、1942(昭和17)年には(旧制)高等学校の合格者の54.2%が同会の会員で占められていました。
すべての高校・高専を合計しても、会員の占有率は43.2%に達していました。
同年の会員数は推計約2万人に達します。
まさに驚異的です。

この分野の資料収集、分析、発表はとても楽しい日々でした。
古本屋とオークションに支払った代金は笑うしかありませんが。(^_^;)

ただ、私自身が旺文社の参考書、ラジオ講座、模試、添削(英協)にお世話になったため、思い入れが強すぎた発表になったかもしれません。ご容赦ください。
<m(_ _)m>


当日は、中村賢一氏のご発表「明治初期和歌山紀北地方の私学校と河島敬蔵」もありました。

1886(明治19)年の森有礼による中学校令で尋常中学校が各県1校に制限されるまで、明治10年代には自由民権運動などを背景とした下からの中等学校設立運動がありました。
巨大な国民啓蒙運動ともいえるでしょう。
英語学習は、西洋の先進的な政治思想や政治制度を学び、藩閥政府と対決する武器でもありました。

中村氏の今回の発表は、そうした動きを和歌山県北部地域を例に丹念に調べ上げ、偉大な英学者・河島敬蔵との関わりに焦点を絞って報告されたもので、これまでの英語教育史研究が見落としがちな側面に光を当てた功績は大きいと思いました。

困難ではあるでしょうが、英語教材、教授法などの具体的な事実の発掘をさらに続けていただきたいと思いました。