希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

欧文社(旺文社)通信添削会の歴史(3)

4. 受験情報産業としての成長

通信添削事業の成功と、原仙作『英文標準問題精講』(1933)、赤尾好夫『受験英語単語の綜合的研究』(1934)などの大ヒットによって、旺文社は大きく成長する。

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通信添削会の会員誌にすぎなかった『受験旬報』は、1941(昭和16)年に一般受験誌蛍雪時代へと発展する。

その発行部数は、研究社の『学生』(『受験と学生』を改称)や英語通信社の『進学指導』などを3倍ほど引き離し、受験雑誌の王者に君臨した。

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こうして、旺文社は通信添削、出版のみならず、上級学校進学の情報提供、入試問題の分析と対策などを手がける総合受験情報企業として成長していく。
そのことが受験生の信頼をかちとり、旺文社の受験参考書が売れるという正のサイクルが生まれたのである。

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しかし、時代は日中戦争に加えて、太平洋戦争(1941)へと突き進む。
旺文社も、その怒濤の時代に呑み込まれていった。

5. 戦後の展開

戦意高揚を煽ったことがとがめられ、旺文社はGHQによって「戦犯出版社」に指定されてしまった。
社長の赤尾好夫が公職追放となった時期もあった。

しかし、やがて復活をとげる。
1950(昭和25)年には赤尾が理事長となって(財)日本英語教育協会を設立し、文部省認可の通信添削事業を復活させた。受講者は延べ300万人に達したという。

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1952(昭和27)年には大学受験ラジオ講座も開始し、放送メディアによる受験指導にも乗り出した。東京と地方とがリアルタイムで繋がった。
インターネット世代に、このありがたさがわかるだろうか。

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雑誌『蛍雪時代』には「誌上添削教室」が連載され、戦前からの添削のノウハウが活かされた。

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1954(昭和29)年に開始された旺文社大学入試模擬試験、1963(昭和38)年にスタートした実用英語検定によって、地方に居ながらにして自分の実力を判定できるようになった。

栃木県の工業高専に入学し、受験指導などまったくなかった僕も、「旺文社模試」や「ラ講」によって大学進学の道しるべを得た。感謝。

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こうして新たな形で成長した通信教育は、教育条件の地域的・経済的な格差の是正に貢献した。

不登校の子どもたちを含む「新たな学び」の機会としても、通信教育に寄せられる期待は大きい。
インターネットなどの情報通信メディアの飛躍的な発達は、新たな可能性を拓きつつある。

新自由主義政策による格差拡大が進む今日、その歴史を振り返る価値は大いにあるのではないだろうか。

主要参考文献
赤尾好夫(1973)「私の履歴書」『私の履歴書』第47集、日本経済新聞社
赤尾好夫追憶録刊行委員会(1987)『追憶 赤尾好夫』旺文社
江利川春雄(2008)『日本人は英語をどう学んできたか』研究社
欧文社『受験旬報』1935年10年10月中旬号~1938年10月下旬号
欧文社編(1942)『昭和17年 全国高等学校・専門学校・大学予科 入学試験問題研究』欧文社
欧文社通信添削会(1935)「欧文社通添英語科会員通信票(英語、数学)」*添削答案
欧文社通信添削会(1942頃a)『欧文社通信添削会内容紹介』欧文社通信添削会
欧文社通信添削会(1942頃b)『昭和十七年度 欧文社通信添削会員 合格者一覧 合格通知転載』欧文社通信添削会
旺文社(1942頃c)『旺文社の概貌』旺文社
旺文社(1942頃d)『旺文社出版図書内容紹介』旺文社
菅原亮芳(2008)『受験・進学・学校:近代日本教育雑誌にみる情報の研究』学文社
竹内洋(1991)『立志・苦学・出世:受験生の社会史』講談社
竹内洋(1999)『学歴貴族の栄光と挫折(日本の近代12)』中央公論新社