「争論」の記事は朝日の編集委員がまとめたものですが、今回は大津さん自身の書き下ろしです。
大津さんによれば「主張は同一路線なのですが、重点の置き方や論の展開の仕方が微妙に異なっています」とのことです。
いつもながら、大津さんの主張には大いに共感します。すばらしい!
ただ1点。
日本で文法訳読式がうまく機能しなかった理由として、大津さんは「学習英文法が十分に整備されていなかったから」という理由を挙げておられますが、英語教育史を学んでいる私としては、この点は留保します。
日本で文法訳読式がうまく機能しなかった理由として、大津さんは「学習英文法が十分に整備されていなかったから」という理由を挙げておられますが、英語教育史を学んでいる私としては、この点は留保します。
日本における学習英文法の歴史については、学界でも現在急速に研究が進んでおり、あと数年でその成果の全体像が明らかになるでしょう。
学校文法史の研究では、私の友人で日本英語教育史学会副会長だった伊藤裕道さんが「文法事項の史的検討(その1)― Sense Subject及びthe way how」『日本英語教育史研究』第12号(1998)、「刊行100年斎藤秀三郎Practical English Grammar(1898-99)管見」同誌第15号(2000)、「『仮定法』の英文法教育史」同誌17号(2002)などの一連の優れた成果を発表してきました。
ただ、伊藤さんは2005年に52歳という若さで亡くなってしまい、研究は未完のままとなりました。学界の痛恨事でした。
しかしその後、東京大学大学院生の斎藤浩一さんという俊英が、この分野の研究を引き継ぎ、精力的に研究を進めています。もうじき画期的な博士論文が完成するでしょう。
こうした研究の結果、現在の「学校文法」に不可欠な無生物主語、意味上の主語、分詞構文などは、日本人学習者特有のつまずきと向き合うなかで、日本で独自に形成されてきたことが実証されつつあります。
「学校英文法」は、NesfieldやOnionsら英米文法家の単なる翻訳ではなく、日本という特異なEFL環境に最適化された英文法体系という誇るべき発明品なのです。
それを体系化した代表の一人が斎藤秀三郎で、その主著Practical English Grammar (1898-99)では、のちに5文型へと集約される分析や、日本人が苦手とする話法、時制の一致、前置詞や、熟語、慣用語句の用法などを詳述し、その後の文法教育や英文解釈法に決定的な影響を与えました。
今年7月に大津さん、斎藤兆史さんとシンポジウム「英文解釈法再考:日本人にふさわしい英語学習法を考える」をやりましたが、今度は若手研究者等も交えて「学習英文法再考:日本人にふさわしい英語学習法を考える」をやる必要があるかもしれませんね。
日本における学習英文法の軽視が、現在の悲惨な英語力低下を招いている一因なのですから。