希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

伊藤和夫『新英文解釈体系』(1964)を読む(1)

一昨年来、日本人にとって「受験英語」とは何なのかをずっと考えてきた。
たくさんの資料を読み、明治以来の英語の参考書をひもといてきた。その一端は本ブログでも公開してきた。

そうした中で、どうしても読み解かなければならない参考書がある。
伊藤和夫の幻の名著と言われる『新英文解釈体系』(有隣堂、1964)だ。

おいそれを攻略できる本ではないので躊躇してきたのだが、近著で詳しく紹介する予定であり、また「受験を伊藤英語から考える者」さんからリクエストもいただいたので、不完全ながら紹介したい。

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革命的な内容を持ちながらも、早すぎる登場によって歴史の闇に消え、伝説のみが残る本がある。
伊藤和夫の最初の単著『新英文解釈体系』が、まさにその例だと思う。

内容は画期的なものだ。
本書は、方法を記した5頁の序文と、593頁もの本文からなり、後の代表作『英文解釈教室』(研究社、1977)の2倍近い大作である。

この本が横浜の有隣堂から出版されたのは1964(昭和39)年4月15日。
そのころ日本は高度経済成長の軌道に乗り、半年後には東京オリンピックを控えていた。

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当時の参考書は著名な大学教授の名前を冠した本がほとんどで、無名の予備校講師が著したこの書に関心を寄せる者はほとんどいなかったようだ。

ビートルズすら「不良」の代名詞のように言われていた時代である。
現在とは違って、当時の感覚では予備校講師は「やくざな商売」で、東大を優秀な成績で卒業した人物が就く職業とは思われていなかった。

そのためか、奥付の「著者略歴」には「第1高等学校文科、東京大学文学部哲学科卒、横浜山手英学院英語科主任教授」と書かれている。

同じ東大でも、戦前は「一高→東大」が最エリートコースだったのである。
予備校なのに「主任教授」という肩書きもいかめしい。
このとき、伊藤はまだ30代半ばだった。

あとあと重要な意味を持ってくるので、伊藤和夫の略歴を述べておこう。

伊藤和夫は1927(昭和2)年に長野県に生まれ、東京府立第五中学校(現・小石川高校)から旧制の第一高等学校(現・東京大学教養学部)に進み、東京大学文学部西洋哲学科を1953(昭和28)年に卒業。翌年、横浜の山手英学院の英語科講師となった。
1966(昭和41)年に奥井潔(1924~2000)の紹介で駿台高等予備校(現・駿台予備学校)に移籍し、のちに英語科主任となった。

著作は数多く、「書いた原稿1万ページ、売れた本1000万冊、教え子100万人」という説すらある。
初めての単著である『新英文解釈体系』(1964)をはじめ、『英文解釈教室』(1977)、『英文法教室』(1979)、『英語長文読解教室』(1983)、『ビジュアル英文解釈(Ⅰ・Ⅱ)』(1987・88)、『ルールとパターンの英文解釈』(1994)など数多くの英語参考書を刊行し、いずれもベストセラーになっている。

意外なことに、受験英語界の巨星となる伊藤自身は英語の受験勉強を経験していない。
伊藤が一高に入学した1944(昭和19)年は太平洋戦争末期で、敵国語である英語が入試から排除されてしまったからだ。
そのため、伊藤は学生時代には山崎貞や小野圭次郎などの著名な受験参考書をほとんど使っていない。
既存の参考書の影響を受けなかったことが、『新英文解釈体系』に始まる独創的な英語学習書を生んだ一因かもしれない。
山崎や小野らの英文解釈法は、伊藤にとって乗りこえるべき仮想敵となるのである。

(つづく)