近年における英語教育史研究の快挙と言ってよいでしょう。
著者の竹下氏から恵贈いただき、一気に読みました。
そして、たいへん感銘を受けました。感動、といった方がよいかもしれません。
しかし、大村喜吉先生の名著『斎藤秀三郎伝』(1960)が吾妻書房の廃業で絶版になってしまった今、斎藤の学問的業績と人となりを伝える本はありませんでした。
竹下氏は長らく民間にお勤めの後、現在はイグザモニックス研究所を主催されています。
氏の英語力には定評があり、私もこれまで大いに学ばせていただきました。
氏の英語力には定評があり、私もこれまで大いに学ばせていただきました。
とりわけ、「斎藤が100年前に提唱したIdiomologyは今日のPhraseologyとほぼ同じもの」(18ページ)という指摘は卓見です。
しかし、その点を本当に理解している研究者は内外に多くはありません。
その意味でも、本書は「斎藤秀三郎再発見」の大きな起爆剤になるでしょう。
しかし、その点を本当に理解している研究者は内外に多くはありません。
その意味でも、本書は「斎藤秀三郎再発見」の大きな起爆剤になるでしょう。
論述がたいへん明解で、資料が豊富なため、学問的な価値は極めて高いと思います。
また、後半の【資料編】では、斎藤秀三郎の主要な著作の目次と具体的なサンプルがたくさん集められているため、斎藤の生の資料に直接アクセスすることができます。
これは大村先生の著作にもなかった新機軸で、本書の価値を大いに高めています。
これは大村先生の著作にもなかった新機軸で、本書の価値を大いに高めています。
日本人の英語研究のレベルは世界最高水準だったのだ、ということを再認識させてくれます。
「終わりに」は、第一級の現代英語教育批判で、大いに共感しました。
軽薄な「コミュニケーション重視策」(英会話偏重策)への痛烈な批判です。
軽薄な「コミュニケーション重視策」(英会話偏重策)への痛烈な批判です。
本書の副題「英語教育再生のために、今あらためて業績を辿る」が、著者の問題意識を鋭く表現しています。
その意味でも、本書はすべての英語(教育)関係者の必読書です。
心から推薦します。
心から推薦します。