希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

日本人名の英語表記の歴史

日本の首相は Naoto Kan か、Kan Naoto か?

日本人の姓名を英語で表記する場合の順番の問題について、先日ご質問をいただきました。

この問題には一般の関心も高いようで、2007年に「ムーヴ」というテレビ番組から取材を受け、解説したことがあります。

そのときのメモが出てきましたので、日本人の名前をどう英語表記してきたかの歴史を見てみましょう。

1. 幕末・明治初期 基本は姓+名の順

日本初の本格的な英和辞典である『英和対訳袖珍辞書』(1862:文久2年)を著した堀達之助は、その序文にHORI TATSNOSKAYと姓+名の順に署名しています。

『幕末洋学者欧文集』(慶應元年:1865)では、35人中33人が姓+名の順。2人が「名+姓」の順で、これが現在確認されている限り最初の「名+姓」表示です。

2. 明治中期以降の英学者(知識人)の多くは「名+姓」の順に逆転

2-1. 明治前期の英学者の多くは御雇外国人からや留学によって英語を学んだため、欧米流の名前表記法を身につけました。

2-2. 明治初期の舶来英語教科書の文明段階説から影響を受け欧米崇拝へ。

2-3. (背景)日本人は先進的な外国文化に寛容であり、しばしば崇拝してきました。
古代からの中国・朝鮮半島からの渡来人への崇拝と漢学の興隆。江戸時代の蘭学によるオランダ崇拝。幕末からの英学による欧米崇拝。

【解説】
明治初期の英語教科書としてよく使われた『ミッチェル地理書』Mitchell's New School Geography Philadelphia, 1872:明治5年)は人種を5つに分類し、人類を社会状態からSavage(野蛮)、Barbarous(未開)、Half-Civilized(半文明)、 Civilized(文明)、Civilized and Enlightened(文明開化)の5段階に区分しています。

銅版画の挿絵を添えた説明には次のように書かれています。
ヨーロッパ人種は「色白で立派な顔立ちとよく発達した体格をしている。人類の中で最も進歩した知的な人種であり、最高度の進歩と文明を達成する能力があると思われる」。
このうち米、英、仏、独などの文明開化人(Civilized and Enlightened)は「安楽で贅沢な暮らしをし、国民の大部分は満足感と繁栄にみちた生活を享受している」。

これに対して「熱帯地方の住民は一般に色が黒く、心身ともに怠惰な(indolent)性癖があり、いかなる高い文明にも到達していない」。
北米インディアンは「復讐心に燃え好戦的である。彼らは白人文明の伸張の前に急速に姿を消しつつある」。
蒙古人種は「気質は忍耐強く勤勉だが、才能に限界があり進歩が遅い」。
また、日本人は「半文明人」(Half-Civilized)に区分されており、「外国人を警戒し、自国の女性たちを奴隷扱いする」とされています。

こうした人種的偏見が、「未開の土人たちを文明の恩恵に浴させる」と称する帝国主義植民地主義を正当化する上で重要な役割を果たしてきました。
この教科書は帝国主義段階に入ろうとする1870年前後の英米人の世界認識を知る上で興味深いものです。
また、こうした欧米中心史観の教科書が明治初期の日本の知識人たちの「脱亜入欧」思想に与えた影響は少なからぬものがあったと思われます。

こうして、明治の知識人たちの大半が、自分をより「文明人」に見せようとして、西洋風の「名+姓」の順に名前を表記したと考えられます。

3. 英語教科書・教材の姓名表記

・外国人から英語を習った斎藤秀三郎は、明治18年(1885)の『スイントン氏英語学新式例題解引』では「名+姓」の順で表記しています。

・日本人が最初に作成した学校用教科書である文部省のThe Mombusho Conversational Readers(正則文部省英語読本)巻1(明治22:1889)では「姓+名」Yamada Taro です。

・神田乃武は署名はNaibu Kandaですが、彼の教科書Kanda’s New Series of English Readersでは、明治32(1899)年4月発行の初版から明治39(1906)年2月の8版まで一貫して日本風の「姓+名」Yamada Goro です。ただ、この教科書の実際の執筆者は菅沼岩蔵のようです。

・確認できた限り、教科書本文での最初の「名+姓」表記は、高等小学校用のKambe's New Series of English Readers 巻4 明治37(1904)年4月発行で、N. Kambe, U. Kobayashiなどの「名+姓」の表記です。
日露戦争の年の発行で、日本の「国際化」の流れに沿ったものでしょうか。

・高橋五郎『新式英語熟達法』(明治40:1907年)では「名+姓」岩崎弥之助 Yanosuke Iwasaki です。

・鈴木熊太郎著King’s English Elementary Readers 巻1(昭和5:1930)では「名+姓」Hana-ko Suzukiです。

・太平洋戦争期の国民学校(小学校)用The New Monbusyo English Readers(昭和16:1941)でも「名+姓」Taro Tanaka。
その教師用指導書には「英語流では名が先で、姓が後である。英文中だから、その例にならったものだと説明しておくこと。」とやや不本意感を漂わせています。
このころ、日本の表記はJapanではなくNipponに改められ、中には「日本人」をNipponeseと表記した教科書も出ていました。

戦時下に刊行された国粋主義色の強い中学校用の『英語2』(昭和19:1944)でも、山本五十六はIsoroku Yamamotoです。

こうして、明治30年代(1900年頃)から英語教材の表記は欧米風の「名+姓」になり、それが英語教育を通じて日本人に定着していったようです。

・戦後の英語教科書で日本人の人名表記が日本流の「姓+名」となったのは1987(昭和62)年度版のNew Crown三省堂)からです。同教科書の内容紹介には以下の記述があります。

「NEW CROWNでは、昭和62(1987年)度版から日本人の名前を[姓+名]の順序で表記してきました。それは、人それぞれ固有の名前は、その人や民族のアイデンティティーを示すものであり、英語表記の中でも元々の順序を尊重して表記されるべきである、という考え方に基づくものです。ここには、国際理解の原点とも言うべき視点が盛り込まれています。」

最近の中学校用英語教科書がすべて「姓+名」の順にしたのは、国語審議会の2000年の答申で「日本人の姓名については,ローマ字表記においても「姓-名」の順(例 えば Yamada Haruo)とすることが望ましい」としたことが大きいようです。

歴史的な流れは以上の通りです。

私自身は、エライ人がどう言おうと、各自が書きたいように書けばいいと思っています。
ただ、自分自身は江利川春雄を親からもらった順番で Erikawa Haruo と書いています。

僕は埼玉県の利根川の近くで2月に生まれたのですが、昔はお米などを利根川から船で江戸に運んでいたそうです。
ですから、僕の名前の意味は「戸に通じるのそばで、早に生まれた、もしかして英になるかもしれない男の子」なのです。(ならなかったけど)
姓と名を逆にすると、この意味の流れがうまくいきません。

そう言えば、二葉亭四迷は「くたばってしまえ!」に由来する名前ですが、Shimei Futabateiでは、シャレがききませんね。

以上、蛇足でした。
<m(_ _)m>