希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

安部磯雄も教えていた岡山英学校の沿革資料(1895年)

古書店より「岡山英学校概況及希望」(1895:明治28年8月)を入手した。
B4よりやや大きい用紙に裏表で印刷されている。

岡山県には1903(明治36)年10月に始業した「岡山正則英語学校」という学校があったことは、私たちの明治以降外国語教育史料デジタル画像データベースで知っていた。
しかし、「岡山英学校」の存在は初めて知った。

「教師生徒共ニ働キ、共ニ学ビ、共ニ生活スル労働、勉強、生活ノ並行教育主義」という点が大変ユニークだ。

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職員録によれば、主任者は小泉土之丞。

驚いたのは、安部磯雄(1865-1945)が教師および賛助員として名を連ねていることだ。

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安部は1884(明治17)年に同志社英学校を卒業後、ハートフォード神学校(アメリカ)やベルリン大学に学ぶ。1895(明治28)年に帰国した直後に岡山英学校で教えた可能性が高い。

その後、安部は母校の同志社教授となり、1899(明治32)年に東京専門学校(早稲田大学の前身)の講師となる。

高野善一編『日本社会主義の父 安部磯雄』(1970)を見てみたが、岡山英学校に関する記述は無いようである。さらに調査を続けていきたい。

裏面には教授内容や授業時数が詳しく書かれている。
5年制で、それぞれが3学期に別れている。当時の中学校と同じである。
ただし、2年生でナショナル読本の第5巻まで済ませてしまうハイテンポだから、中学校よりもレベルは高そうだ。

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カリキュラムで見る限り、中学校と高等専門学校を合体させたような内容。
もしこの通り実行されていたとすれば、かなり高度な教育内容だったことになる。

新史料というのは本当に面白い。
歴史の彼方に埋もれたいた史実が、「はやぶさ」の電波のように、かすかな情報を発信してくる。
謎が知性と感性を刺激し、いろいろな想像が湧いてくる。

まずは『岡山県教育史』あたりから調べてみよう。

岡山英学校について、情報をお持ちの方はぜひお知らせ下さい。