希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

伊藤和夫『新英文解釈体系』(1964)を読む(6)

第1章「文の基本要素」の続き。

【3】S+be+p.p.+X は割愛して、【4】S+V+X+X を紹介したい。

伊藤和夫は「2つのXを第4形式〔S+V+O'+O〕として理解すべきか、第5形式〔S+V+O+OC〕として理解すべきかは英文解釈の重要な問題点である」としている。

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記述はきわめて分析的だ。
僕は大学院時代に読んだR. W. Zandvoortの記述文法(descriptive grammar)の名著 A Handbook of English Grammar の叙述法を思い出した。

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16-17ページでは日本語に訳す場合の工夫についてもコメントしている。
たとえば、I bought her a doll.は「彼女に人形を買った」よりも、「彼女のために人形を買った」又は「彼女に人形を買ってやった」の方が訳文として明確だとしている。

この点を踏まえ、伊藤は、
「英語では単純な形でとらえO'という単純な形で表現する内容のうちのあるものは、日本語ではもっと説明的分析的な語句を用いないと表現できないのである」として?b>「O'がもつ複雑な内容の理解と訳出とが、この構文の重要な点」
だと述べている。

「英文和訳」が大学入試の主流だった1960年代前半においては、こうした訳出の工夫が指導の重要ポイントだったのである。
(ただし、この点に関しては後述のように一種の自己批判を行うことになるのだが。)

続いて、第5形式のS+V+O+OCへと進む。

I made him a lawyer.(私は彼を弁護士にした)の文型を一般にはS+V+O+C と表記するが、伊藤はa lawerを目的補語(OC)と呼んでいる。

ただし、のちの『英文解釈教室』(1977)では「目的補語」に第2章を割いているが、S+V+O+C と表記している。『英文法教室』(1979)でも「第5形式(SVOC)」と、一般的な表記法である。

「この形式は英語国民の思考の基本形式のひとつなので、これに習熟することは英文理解のため絶対に必要である」(「体系」17頁)としている。

『英文解釈教室』の「目的補語」の部分(16頁)ではさらに進めて、「日本語にない発想を理解して訳そうとするときは、「英語→日本語→事柄」という手順ではなく、「英語→事柄→日本語」という順序をたどらなければならない。(中略)第5形式の文についてこのような考え方をすることが身につけば、本章の目的は大半達成されたことになる」と述べている。

『英文法教室』ではさらに踏み込んで、「直訳的に日本語に変えてその意味を手掛かりにしようとしても文意が鮮明に理解できぬだけでなく、日本語に流されていつか英文とは関係のない領域を彷徨するだけに終わることが多い」(50頁)と指摘し、具体的な対応法を詳細に述べている。

この部分は、訳出法に注意を向けていた『新英文解釈体系』時代の自分に対する自己批判を含んでいるように思えるのだが、どうだろうか。

以上を見ると、伊藤のS+V+O+Cの理解の重要性についての問題意識と着眼点は『新英文解釈体系』ですでに明示されていたが、『英文解釈教室』や『英文法教室』では一段と明解かつ具体的な記述になっている。

晩年の伊藤が強調していた「英語→日本語→事柄」という手順ではなく「英語→事柄→日本語」という順序をたどらなければならないという方法が特に重要性を増すのも、この S+V+O+C なのである。

伊藤の進化の過程を見る思いがする。

『新英文解釈体系』の大きな特徴の一つは、各章の最後に「この章のまとめ」が付けられていることである。現代風に言えば「ふりかえり」で、頭の整理によい。

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僕も近著『受験英語と日本人』(研究社)で、伊藤に倣って各章の最後に「この章のまとめ」を書いたのだが、ページ数を削減する必要から、泣く泣くカットした・・・。残念。

21頁の脚注では、「文は基本要素(S,V,X)と修飾要素から成立することになる」という本書全体を貫く基本概念を再度提示している。

なお、「基本要素」という言葉自体は伊藤の発明品ではない。たとえば、小野圭次郎は『最新研究 英語の文法 学び方と応用の仕方』(1925)の第三章「英文構成の要素」で、英文を組立てる要素を「基本要素」(主語と述語動詞)と「補助要素」(目的語、補語、修飾語、結合詞)に二分している(31-35頁)。
伊藤はX(OやC)も基本要素に含めている点で小野と異なる。

それにしても、明解なまとめである。
章が進むにつれて、この「まとめ」の部分は凄みを増してくる。
乞う御期待。

(つづく)