希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

宮田幸一『教壇の英文法』(1961):なつかしの英文法参考書2

連載第1回で紹介した松井孝志さんの御質問に次のような一文がありました。

「『教える』側から文法を見直す際に宮田幸一『教壇の英文法』 (研究社) は昭和の英語教師、英語教育にとって一定の役割を果たしてきたように思うのですが、どうでしょうか?江利川さんの評価は低いということでしょうか?」

これは、私が作った「日本における学習英文法 関連年表(戦後編)」宮田幸一の『教壇の英文法』(研究社出版、初版1961、改訂版1970)が掲載されていないことへの疑問から書かれたのかと思います。

言い訳ですが、あの「関連年表」は、9.10慶應シンポのパンフレットのために「見開き2ページ程度」に収めるために極度に圧縮したものです。
それでも、『教壇の英文法』を落としたのは誤りだったと反省しています。

お詫びを兼ねて、第2回はこの本のことを書こうと思ったのですが、大型台風のために警報が出ており、大学の研究室にこの本を取りに行くことができません。
初版と改訂版を計3冊持っているのですが、不覚にもすべて研究室と学生用のゼミ室に置いてあります。

ということで、今回は宮田幸一の『教壇の英文法』の「周辺」について語ります。

宮田幸一(1904~1989)については、河村和也氏(東京女子体育大)が、大修館『英語教育』2009 年1 月号に掲載の「三つ星ティーチャーの肖像:『昔の先生』の生き方に学ぶ」で詳しく紹介しています。
この論考は、日本英語教育史学会「日本の英語教育200 年」研究グループによる連載「日本の英語教育200年」の第4回です。僕は第1回で小学校英語の歴史について書いています。(蛇足ですが、河村さんとは9月9日に東京浅草で飲みます。)

宮田は1922(大正11)年に東京高等師範学校(東京教育大、筑波大の前身)に入学し、岡倉由三郎、神保格、H.E.パーマーなどから教えを受けます。
宮田は1926(大正15)年に7年制高校である東京高等学校の教師となります。

宮田は戦争で大打撃を受けます。『教壇の英文法 ―疑問と解説ー』(1961)で宮田は次のように書いています。

「いよいよ英文法の研究に着手しようと思ったのが戦争末期の1944年(昭和19年)のころであった。JespersenのModern English Grammarを読んだり、教科書に使っていたConan DoyleやHardyから資料を集めたりしていた。しかし、やがて空襲にあい、Jespersenも資料を記したノートもすっかり焼いてしまった。」

しかし、絶望の淵にいた宮田を救う知らせが舞い込みます。
雑誌『英語教育』Question Box欄への執筆依頼です。
旧制東京高等学校の尋常科を母体として1948年に発足した東京大学附属中学校・高等学校の教員となって2年目の春のことでした。

「私が軽い焦燥感に襲われていたときに、“Question Box”欄への執筆の機会が与えられたのである。私は“シカが谷川の水を慕いあえぐように”この新しい仕事と取り組んだ。」(『教壇の英文法』改訂版、1970)

こうしたいきさつについては、宮田自身が「文法解説業由来記」(研究社のPR誌『英語と英文学』1967年9月号)に書いています。
2008年に研究社の資料室で撮影した写真があるので、掲載します。
コンピュータもコーパスもなかった時代、約3万4千枚の用例カードを駆使したと書かれています。
脱帽。

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1970年8月には『教壇の英文法』の改訂版が出ました。
初版は12回の増刷を重ね、紙型がすり減ってしまったとのことです。
改訂に当たっては旧版の260余りの解説のうち110余編を削除し、新たに50余編の解説を追加しました。
そうしたエピソードを、宮田は『英語と英文学』1970年9月号掲載の「『教壇の英文法』改訂に際して」で次のように書いています。

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さて、『教壇の英文法』に対する僕の評価は、ネタバレしないよう、あえて書きません。(^_^;)

なので、ここでは敬愛する寺島隆吉先生のコメントを引用させていただきます。

「さて大学の英文科で言語学をきちんと勉強したことのない私には、「英文法の指導をどうするか」の研究といってもどこから手をつければよいのか、皆目見当がつかなかった。受験勉強の中でもいろいろ文法参考書を読んだが、一番納得できたのが山崎貞『新自修英文典』(研究社出版、1971)だった。しかしこの本とて、授業の中で生徒が投げかけてくる質問に全て答えてくれるわけではない。そんな時によくお世話になったのが宮田幸一『教壇の英文法』(研究社出版、1961)であった。
 この本は教室で出てくる質問に答えるという形式で執筆されていて、コンパクトな本でありながら文法事項のほぼ全ての分野を網羅しているのでとても重宝な本であった。どこかの学者の説を単に受け売りするのではなく執筆者の独自な見解も盛り込まれていて、しかもそのことが明記されている点でも非常に好感の持てる本であった。とはいえ、膨大な文法事項をこのように全てひとつひとつ説明できなければ英語教師としてー人前になれないのかと思わせる点では、私にいっそうの不安を与える本でもあった。」
http://www2c.airnet.ne.jp/mths/archive/apr/apr.htm

そんな『教壇の英文法』も今や品切れ。
古書価もけっこう高いようです。

英文法が復権しつつある今、ぜひ再刊して欲しい本です。
(おっと、僕の評価は言わないはずでした・・・)