希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

明治6年「外国語学校教則」

今日のお昼も美味いラーメンを食べてきたのですが、「原稿の神様」を引き降ろすために、ラーメン・ネタは後回しにして、英語にちなんだことを書きます。

で、9月17-18日に県立広島大学で開催された日本英語教育史学会全国大会の資料展観(写真)の中で最古の資料だった外国語学校教則」(1873:明治6年)を紹介します。

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明治初年の「文明開化」。
洪水のように流入する外国文化を受けとめられる人材を育成するために、明治政府は各地に外国語学校を作ります。

こうして、1873(明治6)年から翌年にかけて、東京、大阪、長崎、広島、愛知、宮城、新潟の通計7か所に官立の外国語学校が開校しました。

しかし、外国語といっても、当時の文明開化を支えたのは圧倒的に「英語」でした。
グローバル化の今もあまり変わらないようですが。)

こうして、1874(明治7)年12月には、東京外国語学校から英語科が独立して東京英語学校となり、それ以外の各地の外国語学校はすべて英語学校と改称されました。

官立東京英語学校はのちに第一高等学校と変わり、東京大学のルーツの一つになります。
大阪英語学校も京都に引っ越して第三高等学校となり、京都大学のルーツの一つになります。

そのほかの英語学校はいずれも1877(明治10)年2月をもって廃止され、それぞれ地方庁の経営に移管されて中学校などになります。

制度的な位置づけとしては、文部省の「学制百年史」が次のように述べています。

中学程度の外国語学校

明治六年四月二十八日の「学制二編追加」において、外国語学校の目的の一つが、専門学校への入学者のための予備教育にあることを明らかにした。
外国語学校の入学資格は小学校を卒業した年齢十四歳以上のものとしている。

また専門学校の入学資格は、小学校卒業者で外国語学校の下等段階の教科を履習した年齢十六歳以上のものとした。
一方、修業年限四年の外国語学校の下等の段階は一級六か月の課程で第四級から第一級まで計二年で編成されている。
その教科は綴字、習字、読方、諳誦、算術、会話、書取、文法、作文、地理、歴史、体操と定めた。
また専門学校へ入学する予定の生徒は定められた教科以外に「余カヲ以テ中等教科ヲ国書ニテ研究スヘシ」と要請されている。

このような外国語学校の規程をみても、外国語学校の下等段階は、入学資格、教科内容、専門教育への接続の点などから、中等教育としての機能と性格を持っていた。

当時は中学校と外国語学校の区別は必ずしも明確ではなかった。
両者の区別は外国語を主とするか、普通学を主とするかという程度に過ぎなかった。
公立私立の外国語学校については特にその区別が明らかでない。

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私が所蔵するのは「京都府布令書」中のもので、表紙を含めて10丁(20ページ)。
薄い和紙に木版で刷った袋とじで、現物はなんとも味わいがあります。

条例が第1条から第11条まであり、その後に下等外国語学教則、上等外国語学教則が続いています。

なお、香川大学の神原文庫に所蔵されている外国語学校規則の明治6年版と7年版の異同等については、竹中龍範教授が解説されています。
http://www.lib.kagawa-u.ac.jp/www1/kambara/kyosoku/kyosoku.html

と、前置きはそのくらいにして、どうぞ生の資料をご覧ください。

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これで、原稿の神様は降りてくるかなあ・・・