希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

大阪維新の会の「教育基本条例案」を廃案に!

10月10日、慶應義塾大の大津由紀雄さんと児童英語教育を進める「大阪のおばちゃんの会(OBK)」が、児童英語教育の是非をめぐってガチンコで闘論を展開した。

会は70名ほどの参加者を得て大成功だったとのこと。

僕は所用を済ませて、なんとか懇親会には間に合った。
大津さんや池亀さんや、多くの元気溢れる皆さんと飲んで語って笑って、元気をもらった。

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その10日の朝日新聞朝刊(大阪本社版)に、橋下徹知事が率いる大阪維新の会大阪市議・坂井良和氏の談話記事が載っていた。

見出しは「エリート育成 格差は辞さず」

読んでいて、教育学に関するあまりの無知に驚くとともに、権力主義的な傲慢さに強い怒りを感じた。

「教員の5%に最低評価をつける相対化など、露骨な競争主義」を強行しようとする理由を次のように言っている。

「厳しさを求めるのは、ダメ教師がどの職場にもいて生徒を不幸にするからだ。(中略)学区を撤廃し、学校選択を導入し、学力テストの結果も学校別に公表する。」

いま、学校の先生たちがどんな状況に置かれているのか、ご存じないのか。
2009年度における全国の公立学校教員の休職者数などの調査結果によれば、病気休職は8,627人と過去最高。このうち鬱病などの精神疾患で休職した公立校教員は5,458人(63.3%)で、17年連続の増加、20年前の5倍という異常事態である。

これ以上、先生たちを追い詰めて、どんな教育改革ができるというのか。

坂井氏の教育モデルは英国の「サッチャー改革」だという。
「学力テストの結果公表や、教員評価への成果主義導入などで英国を再生させた。競争原理で切磋琢磨することが進歩につながる。(中略)私は格差を生んでよいと思っている。(中略)まずは格差を受け入れてでも、秀でた者を育てる必要がある。」

いまだにこんな見当外れの主張をする人物がいることに驚く。

格差と貧困がどれほど社会を荒廃させているか、それによって大阪の教育がどれほど深刻な事態になっているか、この男は見ようとも、考えようともしないのか。

格差への怒りが中東の「アラブ民主化革命」を引き起こし、いま、あの「豊かな国アメリカ」で若者たちが「格差をなくせ!」とウォール街に連日デモをかけている報道が、この男や維新の会には見えないのか。

英国の競争主義的な教育改革がどれほど教育を荒廃させ、学力的に伸びていないかについては、実にさまざまな研究成果や書物が出ている(たとえば、福田誠治『競争しても学力行き止まり:イギリス教育の失敗とフィンランドの成功』)。

なのに、この男や維新の会は、それらを読みもせずにサッチャーを礼讃するのか。

失敗は英国だけではない。
アメリカでは、ブッシュ大統領が”No Child Left Behind"(一人の落ちこぼれもつくらない)というネーミングだけは良い教育政策を2001年から実施した。

この法律によって、アメリカの学校は国語、算数、理科、社会科の標準テストでの成績によって評価され、成績不振の学校には段階的に強い制裁措置がとられるようになった。

具体的には、学校が2年続けて失敗した場合、生徒たちは同じ学区内の別の学校に転校でき、バス代も支給される。
学校が3年続けて失敗したら、学区は生徒たちが個人的な教育指導を受ける費用を払わなければならない。
学校が5年続けて失敗したら、その学校は閉鎖され、新しい管理運営を強いられる。

このように、大阪維新の会が泣いて喜びそうな改革だった。

だが、結果的に何が起こったか?

標準テストが近づくと、学校は「ほとんどすべての授業時間を試験準備のために費やしている。(中略)多くの教員たちは試験の点数を上げることに役立ちそうない実地見学や他の教科活動を中止し、代わって機械的な暗記と反復練習に集中することを強いられている。」
(引用はレオナード・J・ショッパ『日本の教育政策過程』の日本語版への序文)

まさに、サッチャー教育改革と同じ誤りを、ブッシュ政権は犯したのである。

OECD経済協力開発機構)の生徒の学習到達度調査(PISA)の成績上位には、英国も米国も入っていない。

逆に、フィンランドやオランダなど、競争を廃して平等を原理とする教育改革に乗り出したところが学力上位なのである。

OECDの国際成人リテラシー調査(1994)では、すでにエリート養成主義ではだめだということを明らかにしている。

それによれば、16~64歳の理解力調査をした結果、経済成長に対する教育の効果は、得点の高い層がどれだけ高い点を取るかよりも、全体の平均得点の高さの方が関連しているというのである。

つまり、少数のすばらしいエリートを養成することより、全体の平均水準の上昇を考えた方が、経済的にも寄与するのである。(古山明男『変えよう!日本の学校システム:教育に競争はいらない』参照)

大阪維新の会の「教育基本条例案」は、以上の経験やデータを踏まえない、思い込みと決めつけに満ちた愚案であり、大阪の教育を破壊しかねない危険なものである。

私の教え子も、数多く大阪府の教員になっている。
こんな条例案の下では、大阪に送り出したくない。

ぜったい廃案にすべきだ。