希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

明治30年(1897)の英語界

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

雑誌『英語世界』第1巻第6号(臨時増刊)をオークションで入手。
1897(明治30)年12月23日発行。
同月27日には再版を印刷発行しているから売れ行きは好評だったようだ。

藤井啓一の『日本英語雑誌史』によれば、「英語世界」という雑誌は3種類あった。
1)1897年8月創刊(本書)
2)1907年4月創刊(主筆・長井氏?柁、博文館 *有名なのはコレ!)
3)1950年4月創刊(研究社の戦後版)

その最初の「英語世界」が本書で、月3回発行。
高等商業学校(現・一橋大)附属外国語学校(現・東京外大)の生徒だった高野巽、森川乙猪らが編集委員だったが、2~3年で廃刊になったようだ。

Webcatの目録では3つの「英語世界」がゴチャゴチャになっている。→Webcat

目録のうち下の2つ(東大と近代文学館)のものが、この最初の「英語世界」のようだが、残念ながら今回発掘した第1巻第6号は所蔵されていない。

この号で面白いのが、巻頭の「明治30年の英語界」だ。
資料的価値が高いので、全文をアップしておこう。

開国以来の不平等条約の改正と内地雑居(居留地の外国人が日本人居住地に住むようになる)の施行が1899(明治32)年に迫るなか、空前の英語ブームが沸き起こっていた。
今で言う「国際化」だ。

こうして、政府は東京に外国語学校を復活させ(高等商業学校からの分離独立は1899年)、英語に関する雑誌や講義録が「著しく増加した」。

また、「英語教教授法改良の声は起れり喧々相唱してここに社会の一与論とはなれりき」と、当時の英語界の様子を活写している。

ただし、当時の英語教育界の人たちは、平成の前政権のように財界の要求をそのまま受け入れて性急に「英語が使える日本人」(実は一部のエリート)を作ろうなどとは考えていなかったようだ。
そのことは、当時の英語教授法の改善に関する論考を読めばよくわかる。

そんな古い資料をどうやって読むかって?

実は朗報があるのです!

明治期の英語教授法書が『復刻版 英語教授法基本文献』全4 巻が、出来成訓氏の監修のもとに、冬至書房から先ごろ刊行されたのです(税込 50,400 円)。これは快挙です。

今回の復刻は以下の4冊。

(1)『英語教授法改良案』(重野建造、1896:明治29年
(2)『英語研究法』(佐藤顕理、1902:明治35年
(3)『中学教育に於ける英語科』(岸本能武太、1902:明治35年
(4)『最新英語教習法』(高橋五郎、1903:明治36年

社長さんからの電話によれば、売れ行きが良ければ、外山正一『英語教授法』(1897:明治30年)なども復刻したいとのこと。みなさん、ぜひ応援しましょう。

今回の復刻版については、機会をみてまた紹介しましょう。