希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

3.13京大シンポ「大学における外国語教育の目的」予稿集(1)

3月18日に京都大学で開催される国際シンポジウムの内容が,かなり具体化してきました。

このたび,現時点での予稿集(中途段階)が送られてきましたので,ご紹介します。
分量の関係で,後半は後日改めて。

国際研究集会2012

大学における外国語教育の目的:『ヨーロッパ言語共通参照枠』から考える

日程:2012 年3 月13 日(火)

場所:京都大学人間・環境学研究科地下講義室

会費:500 円(資料,フランス語同時通訳イヤホン代)

懇親会:3500 円(予定)

研究集会と懇親会の参加申し込みは3 月7 日までに次のアドレスにメールでお願いします。
colloque.kyoto0313[at]gmail.com

プログラム

10:00-10:45
講演1(30 分):ジャン=クロード・ベアコ(パリ第3 大学)
「『ヨーロッパ言語共通参照枠』から『複言語・異文化間教育のためのリソースと参照のプラットフォーム』:複言語・異文化間教育のツール」

指定討論者:細川英雄(早稲田大学)(15 分)
司会:西山教行(京都大学

11:00-13:00
シンポジウム1:『ヨーロッパ言語共通参照枠』から考える言語教育の目的

パネリスト(20 分×4)
ピエール・マルチネス(ソウル国立大学)
「実存能力と適応能力:言語学習の新たな地平」

藤原三枝子(甲南大学、ドイツ語)
「学習者はドイツ語を学ぶことの意味をどこに求めているのか?」

ミシェル・カンドリエ(メーヌ大学)
「『ヨーロッパ言語参照枠』から『多元的アプローチのための参照枠』へ:
継承と凌駕」

山崎直樹関西大学、中国語)

指定討論者:
森住衛(桜美林大学、英語)
吉村雅仁(奈良教育大学、英語)

司会:塚原信行(京都大学スペイン語

14:00-14:30
講演2(30 分):鳥飼玖美子(立教大学、英語)
「日本の英語教育の目的は何か」

指定討論者:ジャン=クロード・ベアコ
(パリ第三大学)(15 分)

司会:酒井志延(千葉商科大学、英語)

15:00-17:30
シンポジウム2:『ヨーロッパ言語共通参照枠』から英語教育の目的を考える

パネリスト(報告20 分×4)

高梨庸雄(弘前大学、英語)
「学習者の主体性を重視したカリキュラムを」

ジル・フォルロ(ピカルディ大学、英語)
「『参照枠』における英語と『参照枠』にとっての英語:言語教育・学習の
複合的で多元的な実践をめざして」

江利川春雄(和歌山大学、英語)
「平和,民主主義,民族連帯のための英語教育を」

バリー・ジョーンズ(ケンブリッジ大学、英語)
« Diversifying aims within an English learning programme: developing linguistic performance, linguistic and cultural awareness, learning how to learn, and plurilingual competence »

指定討論者:
大谷泰照(大阪大学、英語)
寺内一(高千穂大学、英語)

司会:大木充(京都大学、フランス語)

懇親会


この研究集会は、人環棟 Graduate school of Human and Environmental Studies Bldgで行われます。

シンポジウム1:
『ヨーロッパ言語共通参照枠』から考える言語教育の目的

問題提起
ピエール・マルチネス
藤原三枝子
ミシェル・カンドリエ
山崎直樹

発表要旨

講演「日本の英語教育の目的は何か」 鳥飼玖美子
立教大学特任教授(大学院異文化コミュニケーション研究科異文化コミュニケーション専攻)

講演要旨
本講演では、日本の英語教育の目的は何かについて考察を試みます。まず、日本における外国語受容の歴史を概観した上で、「受容」という目的が近年になって「発信」へと変遷した状況をふまえ、今後、「国際共通語としての英語」の習得を目的にした場合の英語教育の内容がどうなるかを考えます。さらに欧州評議会による「複言語主義」(plurilingualism)と、それを具現化する為に生まれた『ヨーロッパ言語共通参照枠』を、日本の大学における外国語教育との関連で検討します。

日本における英語教育の目的が公的な形で議論になったのは、1970年代の平泉渉参議院議員渡部昇一上智大学教授による「英語教育大論争」でした。平泉試案は実現しませんでしたが、その後の英語教育は「実用」に向けて一直線に進み、教育政策面でも経済界の要請や世論の動向という面でも、英語教育
の目的は実用、すなわち「コミュニケーションに使える」ことが当然とされ現在に至っています。

しかし、「コミュニケーション」とは何かという定義がなされないまま「コミュニケーションに使える英語」という漠然とした目標設定がなされ、大学における英語教育は著しく歪められているのが実情です。使える英語とは会話であると狭義に理解され、ビジネス界が要求するTOEIC などの標準試験が教育成果の指標となり、かつそれが目的化しているという弊害が顕著になっています。

また、国際コミュニケーションに資することを目的にしながら、「国際共通語としての英語」の内容を吟味していない為、従来と変わりなく英語圏の異文化理解を目的に、母語話者を規範とする英語教育が行われています。

今後は、「国際共通語」としての英語教育のあり方を模索すると共に、日本の外国語教育に複言語主義の理念を導入し、多言語社会への貢献を目指すのが大学教育の責務だと考えます。


シンポジウム2
『ヨーロッパ言語共通参照枠』から英語教育の目的を考える

問題提起

1 『参照枠』における外国語教育の目的

『参照枠』にも言語教育の目的は書いてあるが、『参照枠』を刊行した欧州評議会の閣僚委員会が作成し、加盟国に出した現代語に関する勧告1 では次のようになっている。

1)実用的な目的
国語学習は、国民の私的および職業上の交流と意見交換に役立つこと

2)異文化間的目的
国語学習は、ヨーロッパ国民のあいだで偏見をなくし、お互いの利益と寛容の精神を育むのに貢献すること

3)社会政治的目的
国語学習は、お互いの豊かさの源として言語的、文化的多様性という豊かな遺産を保護し、持続させるのに役立つこと

問題提起1:ヨーロッパの英語教育の現状はどうなのか。欧州評議会の勧告はどの程度守られているのか。

2 英語教育と複言語主義

『参照枠』には、特に英語教育(学習)のみを取り上げて言及している箇所はない。しかし、そのガイドではかなりの紙幅が割かれている。このことから、多言語政策を推進しようとしているEU圏でも、英語が特殊なものであることがわかる。『参照枠』を刊行した欧州評議会の言語政策の中心人物である Beacco と Byram は、教育言語政策の多様化を論じるときには、ヨーロッパにおける英語教育(学習)の役割の問題に取り組むことが不可欠であると述べている。(Neuner 2002, Truchot 2002, Breidbach20033 の前書き)その問題は、一言でいえば、社会で必要とされている英語学習と複言語教育推進との相克、現実と理想のギャップである。複言語教育を推進しているEU圏でも、英語はコミュニケーションの道具としてだけでなく、文化的にも強い影響力を持っていて、他の言語を学ぶことは無駄なことと思われるようになっているのが現実だ。このように、英語教育(学習)は他の言語を駆逐してしまう危険性をはらんでいるが、一方において、英語を第一外国語(最初に学ぶ外国語)として学習することには、利点もある。ヨーロッパの他の言語と英語との類似性ゆえに、まず学習に比較的時間がかからず、より多くの時間を第二外国語(二番目に学ぶ外国語)の学習にさくことができる。また、英語を第一外国語として学習すれば、後の外国語の学習が容易になるという利点もある。(Neuner 2002, 9-11) このように、ヨーロッパでは、英語の学習が他の外国語の学習、複言語教育に役立つ側面もある。
以上は、EU欧州連合)という政治的連合が存在し、英語と同じ系統に属する言語が使われているヨーロッパだから言えること。はたして日本ではどうなのか。

問題提起2:そもそも英語を第一外国語として学ぶ必要があるのか。

問題提起3:学ぶ必要があるとしても、ヨーロッパ人と比べて習得に膨大な時間のかかる英語を、実用目的で、しかも使えるレベルまで養成する必要があるのか。

3 日本の英語教育の目的

世界銀行のデータ「世界開発指標」(2009年度)から、日本は内需大国であり、輸出大国の韓国などと比べてビジネス分野での外国語の使える人材の必要度が極端に低いことがわかる。さらに、韓国との人口比を考慮すれば、日本で英語を必要とするビジネスマンはごく限られているはずである。また,2008年の厚労省の調査では,「新規大卒者採用時の重視項目」の中で「語学力・国際感覚」は1%しか占めていない。
一方において、日本企業の国際競争力の弱体化は、たとえば韓国企業と比べてその技術力の低下が主な原因であるにもかかわらず、英語力の強化に救いを求めているようにも思われる。そして、英語教育の必要性がますます声高に叫ばれている。

問題提起4:実際に実用目的で英語を学ぶ必要がある学生数はどれぐらいなのか。

4 複言語主義教育

Guide (2003) と Candelier (2005) 4 によると『参照枠』の複言語主義には2つの側面がある。「能力」としての側面と「価値」としての側面である。「能力」としての複言語主義の目的は、複数の言語を使う能力を養成して、話し手の「言語レパートリー」を増やすことである(「複言語養成」)。それに対して、「価値」としての複言語主義の目的は、言語的に寛容になること、すなわち言語の多様性を肯定的に受けいれることの価値に気づかせることである(「複言語主義教育」)。この複言語の価値の側面を気づかせるには、説明する必要があり、けっして自然になされるようなものではない。

問題提起5:日本の英語教育・学習は運用能力の養成に偏っているのではないか。

問題提起6:そもそも日本の英語教師(学習者)は、英語教育(学習)の目的を自明のこととしていないか。自分の頭で考えたことがあるのか。

21世の世界は、一極化から、多極化、さらに無極化しようとしている。そのような世界における日本の英語教育の目的ははたしてどうあるべきか。

(つづく)

*明日21日から23日まで学生と北海道に行ってきますので,続きは24日以降に。