希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

大学での学びの質を高めるために

まずは,このブログが本日17万ヒットを記録しました。(パチパチ)

こうして皆さんと交流できることに深く感謝申し上げます。
<m(_ _)m>

さて,前回は「LTD 話し合い学習法」による大学の授業スタイルについて述べました。

知識注入型の一方的な「講義」をどれだけ減らすことができるか。
学生たちに問題を投げかけ,少人数での学び合いを通じて,どれだけ深く考え,明快に意見表明できるか。
そうした協同的な学びを,私は大学のすべての授業で実践し,その成果を実感しています。

明治以来,大学の授業は「講義」と呼ばれてきました。
しかしいま,教師の一方的な講義によって学生の学びを受け身にしてしまうのではなく,学生が授業の目標と課題を自覚し,主体的に参加するような能動的で自律的な学びの仕組みをいかに作り上げるかが求められているのではないでしょうか。

私自身,大学の授業に協同学習を取り入れてからは,学生の授業への参加意欲が確実に高まり,授業評価が向上しました。
勤務先の大学では,もっとも優れた授業実践に与えられる「グッドレクチャー賞」を,教養語学と専門科目の両部門で受賞しました。
大学でも協同学習がいかに効果的かを実証した瞬間です。

どんな学生も「学びたい,成長したい」という意欲を持っています。
授業改善の責任者であるFD委員長を経験して実感したのですが,学生が高く評価する授業は高度な内容の授業であることが多いのです。

私の授業にも「大学でもっとも過酷な課題を出される」と学生たちが嘆くほどハードなものがあります。
たとえば英語科教育法では,英語による指導案作成,模擬授業,ディベートなどを課しています。
英語による映画をチームで作成するプロジェクト型の演習も行っています。

こうした「背伸びとジャンプ」を必要とする高度な課題を仲間と一緒にやりとげることで,協同(協働)し合う関係が生まれ,強烈な達成感を味わうことができるのです。

しかし,世間一般では,「大学の授業は生ぬるい」という見方が多いようです。

今年3月に発表された中央教育審議会「予測困難な時代において生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ」でも,学ばない大学生や,旧態依然たる講義形式の授業への危機感が表明されています。

朝日新聞の記事をご紹介します。

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大学における学びの質を高める必要があることは確かです。

しかし,その際に,教育行政が行わなければならないことがあります。

ヨーロッパの大半の国がそうであるように,大学の授業料を限りなくゼロに近づけることです。
さらに,奨学金を抜本的に拡充すべきです。

現状では,大学生も大学院生も多くがアルバイトに駆りたてられています。
私の周囲の学生も,ほとんどが過重なアルバイトを余儀なくされています。

さらに,大半の政府系奨学金は,奨学金とは名ばかりで,3%もの利子がつく「教育ローン」にすぎません。卒業後には数百万の借金を抱えることになります。

しかも,就職は困難をきわめ,大学院で学位を取得してもポストはほとんどありません。

これらに対する解決策を示さずに,「勉強しろ」「勉強させろ」という号令だけで,学生たちが学びに打ち込めるでしょうか。

学生の誰もが学びたい,成長したいという欲求を持っています。

彼ら,彼女らが安心して学びに打ち込める低額の授業料,充実した奨学金などと相まって,大学における学びの質の保証が論じられるべきだと思います。

ちなみに,GDPに占める日本政府の大学投資は世界最低レベルです。