希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

英学史学会での展観資料(5)敗戦直後の墨ぬり英語教科書

しばしば誤解されていることが多いのですが、太平洋戦争下でも英語教育は続けられていました。

敗戦前年の1944(昭和19)年にも、国民学校(小学校)高等科用の国定教科書『高等科英語』(全1巻)や、中学校用および高等女学校用の準国定教科書『英語』が刊行されていました(すべて展示します)。

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しかし、勤労動員などでまともな授業ができないまま、敗戦を迎えてしまいます。

すると、戦時中の軍国主義的な教材を教えることが許されなくなりました。

こうして、戦時下で刊行された英語教科書の一部の教材に墨を塗るなどして、敗戦直後に英語教育がスタートしたのです。

敗戦前後の特異な英語教科書は、戦時下の軍国主義教育から敗戦占領下の民主主義教育への転換を証言する歴史遺産であり、第一級の資料です。

しかし、資料の発掘が難しく、また削除部分を特定するには、削除されていない本も見つけなければならないという難しさもありました。

しかし、そうなるとますます集めたくなります。

かくして、私は無削除版3種7巻と、墨ぬり版13冊、そして1946年に改訂された暫定教科書版9巻22分冊のすべてを集めました。

さて、一口に「墨ぬり」といっても、実にさまざまです。
また、同一の削除箇所でも、資料によって削除方法は多様です。

実際には、真っ黒な「墨ぬり」や、もとの文が読める「棒引き」などは比較的少量の削除に用いられています。

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ページ全体に紙を貼って見えなくした例もあります(破けば見えるのですが)。

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ハサミでの「切取り」や「貼合せ」による削除の分量は数ページないし1課全体に及ぶ場合がほとんどです。
 
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不都合な文字だけに墨を塗って、あとから穏当な文字に書き替えた事例もあります。
下の写真(中1用)では、Sailors fighting が sisters working に書き替えられています。

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こんな「墨ぬり」(削除)によって英語を学んだのは、1945年の秋から翌年の3月までで、翌1946年度からは、戦時色を一掃した「暫定英語教科書」が3分冊で出されます。

物資難のため、質の悪い新聞紙のような紙(仙花紙)に印刷され、生徒は自分で折りたたんで製本しました。

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それらとて生徒全員には届かず、くじ引きで配布し、当たらなかった生徒は友人の教科書を写し取ったという記録もあります。

こうして、1947(昭和22)年度には新制中学校が発足し、外国語教育が一部の特権的な人たちにだけではなく、国民すべてに提供される時代になったのです。

<参考文献>

磯辺ゆかり・江利川春雄「『墨ぬり』英語教科書の実証的研究」『和歌山大学教育学部紀要・人文科学』56集、2006年  オープンアクセス
  http://ci.nii.ac.jp/naid/110005231518

江利川 春雄「墨塗り英語教科書と戦後の教材・題材史」『英語教育』2006年12月号、大修館書店
  http://www.eigokyoikunews.com/columns/taishukan/2006/11/post_17.html

江利川 春雄『日本人は英語をどう学んできたのか:英語教育の社会文化史』研究社、2008

(つづく)