もう一つの魅力は,人間の温かさです。
「紀南の人は温かいな」といつも思います。
「紀南の人は温かいな」といつも思います。
さて,そんな紀南の先生たちとの研究会での講演タイトルは「英語授業の大改造! 劇的ビフォーアフター:英語による授業・協同学習・ICT」という,なんとも悪のり。
でも,こんなタイトルを笑って受け入れてくれるのが紀南の人たちなのです。
前半のメインは,4技能統合型の授業をどう作るか。
一方的な講演ではなく,いくつものワークショップを入れ,授業改造のアイディアを体験してもらいました。
一方的な講演ではなく,いくつものワークショップを入れ,授業改造のアイディアを体験してもらいました。
下の写真は,グループによる動作を交えての音読法で,面白い動作に大笑いでした。
続いて,設問の工夫によって英文の内容理解を深めていく方法。
キーワードを使っての要約文の作成などです。
「授業は英語で」のパートは,もちろん,どう英語で授業をするかのお話しではありません。
まず,「授業は英語で行うことを基本とする」という新学習指導要領の方針が,理論的にも実践的にも,どれほど誤った方針であるかを具体的な証拠をあげてお話ししました。
高校生の実態はきわめて多様であり,「授業は英語で」などという一方的な方針で,先生方の指導方法を縛るべきではありません。
授業は複雑であり,多様なアプローチが必要ですから,英語で行ったほうが良い局面もあれば,日本語や和訳を取り入れた方が良い局面もあります。
「授業は英語で」を唱える人たちは,「授業=教師の語り」だと思っているのではないでしょうか。
それこそ,旧態依然たる授業観です。
それこそ,旧態依然たる授業観です。
もちろん,英語教師であれば,少し練習を積めば英語で授業をすることは,さほど難しくはありません。
しかし,問題の核心は,授業は教師と生徒が一緒に作り上げる協同のプロセスだということです。
したがって,もし「授業は英語で」と言うのであれば,必然的に生徒からの質問も,生徒同士の話し合いも「英語で行うことを基本とする」となってしまいます。
そんなことを,本気で考えているのでしょうか。
高校生の英語学力の「低さ」は,決して英語で授業をしないからではありません。
むしろ,旧来型の教師主導型・解説型・講義型の授業スタイルにあると私は考えています。
むしろ,旧来型の教師主導型・解説型・講義型の授業スタイルにあると私は考えています。
そこで,生徒同士に学び合い・高め合いによる協同学習の導入法を実例を示しながらお話ししてきました。
ペアや4人グループでの活動も交えて,研究会は終始なごやかで明るい笑いに包まれていました。
終了後,「今までで一番ためになる講演と研究会だった」とか,「文科省の太田氏の講演会では,授業を英語で行わない教師は犯罪者であるかのような威圧感を受けたが,今日のお話を聞いて希望の光が見えて,元気が出てきました」などの感想をいただきました。
学問的根拠もない「授業は英語で」を一方的に押しつけ,威圧・恫喝することに,どんな意味があるのでしょうか。
学校現場で頑張っておられる先生を元気づけ,励まし,サポートするのが文科省や教育行政の使命ではないでしょうか。
それをしないのであれば,どんなに忙しくても,僕らが可能な限り出向いていくしかないと思っています。
教え子たちにも会えました。
懇親会は,本当に楽しい時間でした。
懇親会は,本当に楽しい時間でした。
行って良かったな。
そんな,紀南の一日でした。