希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

朝日新聞「英語検定、競い合う」の違和感

8月29-31日は義父らが住む沖縄に行き、広大な嘉手納基地、オスプレイが配備された普天間基地を見学し、さらに反戦地主の知花昌一さんのご案内で、多くの住民が「集団自決」に追い込まれた読谷村チビチリガマ(洞窟)などを見てきました。

コバルトブルーの美しすぎる海とは対照的な、戦争の過去と現在の重さを感じました。

戻ると、ブログアクセスが33万を超えていることを発見。
みなさんに感謝です。

たまっていた新聞を読んでいると、朝日新聞の8月30日号の「英語検定、競い合う」という記事が目にとまりました。

これについては、本ブログのコメント欄でstrong-in-the-rainさんやシェイクスピアさんが違和感を表明されていますが、私も強い違和感を感じました。

TOEFLなど4種類の外部検定試験を比較対照し、会話を含む4技能を測る試験は待ったなし、という方向性の記事です。

特徴的なのは、例によって高校で実際に教鞭を執っている教員の意見がまったく載っていないことです。

代わりに、なんと有名予備校講師のコメントを援用した次の言葉で締めくくられています。

「国際的な検定試験は、平均的な日本の学生には難しすぎるといわれる。だが、安河内氏は「4技能の検定試験に注目が集まるのはいい傾向。具体名の挙がった試験が合わないからと、この変化を止めるべきではない」と話した。」

TOEFLなどの「国際的な」(実際には、TOEFLは「米国的な」)外部検定試験を大学入試に使うことがどれほど危険かについて、私たちは『英語教育、迫り来る破綻』(ひつじ書房、2013年6月刊)で詳細に論じました。

なので、ここではこの朝日の記事の事実誤認に関してだけ述べます。

まず、文部科学省によると、大学入試で外部試験を活用すべきだという意見は、2000年の大学審議会の答申で初めて示され」とありますが、事実ではありません。

政府や文部省(当時)が関与した機関で「大学入試で外部試験を活用すべきだという意見」が初めて示されたのは、1986年4月、中曽根内閣の臨時教育審議会「第二次答申」です。

この答申は、文法・読解中心からコミュニケーション重視への転換を要望したことで有名ですが、その一環として「大学入試において、TOEFLなどの第三者機関による検定試験の結果の利用も考慮する」と述べています。

さらに、翌1987年8月の臨教審「第四次(最終)答申」でも、「大学入試において、英語の多様な力がそれぞれに正当に評価されるよう検討するとともに、第三者機関で行われる検定試験などの結果の利用も考慮する」と述べています。

以上の答申は、文部省が発行した『文部時報』に記されています。

文科省の担当者や記者は、そんな古いことは知らないとおっしゃるかもしれませんが、私は前掲の『英語教育、迫り来る破綻』の「英語教育政策年表」160-161頁にも書いておきました。

ですから、担当者が臨教審答申の内容を「知らなかった」としたら、当事者意識に乏しいというか、とても残念なことです。

何より強調したいのは、こうした「外部検定試験」の大学入試等への導入案が、教育の民営化・競争と格差化を進める新自由主義教育政策の日本におけるスタートとなった臨時教育審議会において初めて出されたという事実です。

今日のグローバル企業の教育要求である「大学入試にTOEFL等」は、この路線の延長にあり、底流にある思想は「新自由主義」なのです。

大手ネットビジネスの社長が「大学入試にTOEFL」を強く主張している裏には、医薬品のネット販売化と同様の英語入試のネット市場化が視野にあるのではないでしょうか。

なんせTOEFLは1回の受験に約2万2千円かかります。
高3生が100万人ですから、全員が1回TOEFLを受ければ220億円市場が生まれます。
模試なども含めると、とても「おいしい」ビジネスになりうるのではないでしょうか。

さて、正確な歴史認識がどれほど大切であるかは、なにも国際政治だけではありません。
英語教育問題でもまったく同じなのです。

その意味で、もう一つだけ記事の問題点を挙げておきましょう。

「だが改革は待ったなしだ。今年度から本格実施された高校の新学習指導要領には、外国語の4技能をバランスよく育成することが盛り込まれた。新指導要領で学んだ高校生が受験生になる15年度までに4技能を問う入試が求められる。」という部分です。

「外国語の4技能をバランスよく育成すること」は何も平成の発明品ではありません。

日本の英語教育史をひもとけば、読む、書く、聴く、話すの4技能を統合的に教えようという方針が確立したのは明治30年代(1900年前後)で、当時は「分科の統合」という言い方をしていました。

東京と広島の両高等師範学校を拠点に、聴く・話すを重視した4技能統合型の指導は明治期から研究・実践されていました。

下の写真は、明治を代表する英学者・神田乃武の『小学英語読本』(1900:明治33年)です。
表紙には4技能を象徴する目(Reading)、耳(Listening)、ペン(Writing)、口(Speaking)が描かれています。

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1922(大正11)年には英国からハロルド・パーマーが来日し、文部省内に英語教授研究所を設立して会話重視のオーラル・メソッドを広めるべく活躍します。

この英語教授研究所が主催して1925(大正14)年に開催した全国英語教授研究大会で、文部省は「中等学校における英語教授をいっそう有効にする方法」を諮問しました。
当時の文部省は英語教員たちに直接問いかけ、意見を求めていたのです。

これに対する教師側の答申は驚くほど今日的です。
英文解釈中心の「入学試験の改善」を訴え、入試にリスニングやスピーキングを導入すべきだと主張しているのです。

それと一体のものとして、「学級の生徒定員を30名以下に限る」という要求も出しています。
会話などを鍛えるには、生徒の人数を半減させなければならないことを教師は訴えていたのです。

一方、今日「入試にTOEFL等」を主張する財界人たちや大新聞の記者さんは、会話を課す外部検定試験の導入は言うものの、教育条件の改善を合わせて提案してはいません。

ついでに言うと、東京大学の前身である東京開成学校では、1875(明治8)年の段階で、英文読解、作文、文法と並んで、ディクテーションや「実際会話」も課していました(『東京開成学校一覧』明治8年)。 

英会話などが、なぜ入試に出題されなくなったのか。
これは日本人と英語をめぐる大問題です。

長くなりますので、詳しくは拙著『受験英語と日本人』(研究社、2011)をご覧ください。