鳥飼玖美子さんから、産経新聞3月8日付朝刊に面白い論説が掲載されているとのメールをいただいた。
さっそく読んでみると、なるほど面白い。かつ、鋭い。
紀事の一部を紹介しよう。
昨年12月発表の同実施計画は、小学校英語の開始時期を現行の5年生から3年生に前倒しし、中学校の英語授業を原則英語で行うなどの方針を示した。
結論からいえば、私は5年生開始も反対だから、3年生は論外だ。英語力の土台となる日本語力(国語)の劣化さえ懸念される昨今、国語=母語もまだ十分でない3年生に英語を課せば、最悪は両方不完全になり取り返しがつかない。
が、国家百年の計である教育は日本の将来像と不可分であり、優先順位を間違えてはいけない。いま8歳児が限られた時間割で最優先すべき課題は何か。一にも二にも体力作りと母語の充実で、英語ではあるまい。特に公教育はそうだ。」
*最後の、「国家百年の計である教育は日本の将来像と不可分であり、優先順位を間違えてはいけない」という指摘は,基本の基本ながら、教育行政はグローバル化対応に焦るあまり、この基本を忘れている。
最たる例が、2013年12月に発表したグローバル化に対応した英語教育改革実施計画」だ。
これによれば、小学校外国語教育の早期化・教科化、中学校の英語の授業を「英語で行うことを基本とする」などの方針を,2020年の東京オリンピック・パラリンピックに合わせて実施したいという。
これによれば、小学校外国語教育の早期化・教科化、中学校の英語の授業を「英語で行うことを基本とする」などの方針を,2020年の東京オリンピック・パラリンピックに合わせて実施したいという。
国家百年の計どころか、目先にイベントに合わせて教育政策の重大な転換を行おうというのだ。
引用を続けよう。
「日本人の英語で最近、感心したのがサッカー、本田圭佑選手のACミラン入団会見だった。単語は中学校程度でも、英語が手ごわいのは平易な単語が実は奥が深いことだ。本田選手は「サムシング」を状況に合わせてうまく使っている印象を受けた。加えて応対が揺るぎなく、まさにサムライを感じさせた。
ところが驚いたのは、ネット上の感想に「本田はサムライに会ったことがないという表現に現在形を使っていたが、現在完了形が正しいのではないか」との疑問が真っ先に上がっていたことだ。受験英語の弊害の見事な見本である。」
*なるほど、ありそうなことだ。
では、論説は「文法は不要だ」という流れになるのかと思いきや、ちがう。
次の展開が見事で、この間の学校現場の実態をよく押さえている。
では、論説は「文法は不要だ」という流れになるのかと思いきや、ちがう。
次の展開が見事で、この間の学校現場の実態をよく押さえている。
「そこで「使える英語を」と、話す・聞く重視に転換して実は久しいのだが、ここにも深刻な反省が生まれている。相変わらず使えないうえに、いまや文法という唯一の取り柄まで危ういからだ。」
*その通り。日常生活で英語を必要としない日本の環境では、日常英会話をカリキュラムの中心に据えたところで、「英語が話せる日本人」は育ちようがないのである。
むしろ、文法がいいかげんになり、語彙が貧弱になり、何よりも思考力が落ちているから、内容ある主張を論理的に言えないのである(大学で教えてみればよくわかる)。
この2月に刊行された斉田智里先生の『英語学力の経年変化に関する研究: 項目応答理論を用いた事後的等化法による共通尺度化』(風間書房)は、「コミュニケーション重視」に転換した1990年代から、高校入学時の英語学力がどれほど落ちてしまったかを統計的に実証している。
さて、最後が圧巻だ。
「誤解を恐れずにいえば、英語教育行政は失敗を重ねてきた。犠牲者は国民。生徒も教師も被害者で、現状では、日本中の小学生に英語を教えられるだけの教師はいないと専門家は断言する。教師の養成こそ焦眉の急だが、拙速ではまた失敗するから、長期戦の覚悟が必要だ。
今回の実施計画で致命的なのは「何で英語をやるの?」という根本的命題を素通りしていることだ。「グローバル化に対応するため」では口当たりはよいが分からない。身びいきでなく日本人の学習能力は国際標準でいまも高い。なのになぜ英語だけが不振を極めているのか。
私は多くの人が英語の必要性を得心していないのだと思う。最大公約数は受験のためかもしれない。しかしサッカーで世界を目指した本田選手は自ら必要性を確信した。必要は英語の母、である。」
*鋭いのは、まず「今回の実施計画で致命的なのは「何で英語をやるの?」という根本的命題を素通りしていることだ」と指摘していること。
まさに、学校における英語科教育の「目的」(全員に対する基礎基本、興味関心の喚起)を、企業の英語研修の「目的」(英語が使える社員)と取り違えていることが、政策の混乱の最大要因なのである。
学校教育の「目的」は、企業研修の「目的」とは違うのだから。