今年の6月に出た佐藤雅彰・齊藤英介(2015)『子どもと教室の事実から学ぶ:「学びの共同体」の学校改革と省察』(ぎょうせい)を読んでいる。
みずから授業改革・学校改革に尽力し、全国各地の教室を観察している著者だけに、まさに「子どもと教室の事実から学ぶ」珠玉の言葉にあふれている。
たとえば、以下の一文。
「学力調査の順位に力点が置かれ、競争力を競えば競うほど、子どもたちの気持ちが無視され、子どもの実態に即したケアの挑戦が遠ざかる。順位を気にするあまり、子どもとのあいだが、教える/教えられるといった関係に陥り、子どもが自分の思いを周囲にサインとして出す身体行動を教師のからだが感じなくなる。それだけでなく、教師が、その行為の裏にある心理的な思いに至らなくなり、見て見ぬふりをしたり、困った行動に説諭と叱責だけになったりしやすい。」(23-24ページ)
しかし、政府は試験、試験、試験である。
政府だけではない。
生徒に向き合う時間を減らしてでも、TOEIC受験対策をせよと言うのか。
ありもしないのに教師全員に受験を命じることは税金の浪費であり、犯罪的ではないか。
県教委は英検3級の合格率を4年後に50%と見込んでいる。
つまり、生徒の半分は合格しないことを見越しており、それでも受験を強制するというのである。
「中3で英検3級」という上からのノルマを果たせなかった生徒の心の傷をどうするのか。
これはもはや教育ではなく、暴力である。