希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

明治期の小学校英語教授法研究(3)

枩田與惣之助(まつだよそのすけ)の稿本『英語教授法綱要』(1909:明治42年)の翻刻と考察
第3回目です。

小学校教員を養成する愛媛県師範学校での講義プリント。

いよいよ小学校英語教育史の記述へと入る。

第二章で日本における小学校英語教育の法令的な概説を行い、第三章では欧米の小学校外国語教育へと論を進める。時間・空間を超えたスケールの大きな展開だ。

このプリントは「綱要」(レジュメ)なので概括的だが、実際の講義は肉付けされ充実した内容だったと思われる。

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   第二章 本邦小学校に於ける英語科の略史

 本邦小学校に於て英語を加へたるは実に明治十九年森文相の時の小学校令に始まる、蓋し当時高等小学校に於て土地の情況により之を加へしめたるなり、而して此時府県知事をして課程表を作らしめたり其一例につきて見るに一週の度数三、時数三、第一学年には綴方、読方、書取、習字、第二学年と第三学年には、読方、書取、習字、第四学年には前学年の続並に文法の初歩を授けたり、

 二十三年の小学校令改正と共に英語を改めて外国語となし、高等小学校に於て土地の状況により加ふるを得しめたり、然れども当時実際に於て英語か多く課せられたるを見る。

 二十四年の改正に於て外国語を随意科となすを得しめ、教則大綱に規定して曰く「高等小学校ノ教科ニ外国語ヲ加フルハ将来ノ生活上其ノ知識ヲ要スル児童ノ多キ場合ニ限ルモノトシ読方、訳解、習字、書取、会話、文法、及作文ヲ授ケ外国語ヲ以テ簡易ナル会話及通信等ヲナスコトヲ得シムベシ、外国語ヲ授クルニハ常ニ其発音及文法ニ注意シ正シキ国語ヲ用ヰテ訳解セシメンコトヲ要ス」と。

 三十三年小学校令の改正と共に「修業年限四年ノ高等小学校ニ於テハ英語ヲ加フルコトヲ得」しめ、又之を加へし時は随意科と為すことを得しめたり、又同時に施行規則を改正して曰く、

 英語ハ簡易ナル会話ヲナシ又近易ナル文章ヲ理解スルヲ得シメ処世ニ資スルヲ以テ要旨トス
 英語ハ発音ヨリ始メ進ミテ単語短句及近易ナル文章ノ読ミ方、書キ方、綴方並ニ話シ方ヲ授クベシ
 英語ノ文章ハ純正ナルモノヲ選ビ、其ノ事項ハ児童ノ智識ノ程度ニ伴ヒ趣味ニ富ムモノタルベシ
 英語ヲ授クルニハ常ニ実用ヲ主トシ又発音ニ注意シ正シキ国語ヲ以テ訳解セシメンコトヲ努ムベシ

 四十年の改正には「土地ノ情況ニ依リ英語ヲ加フルコトヲ得」しめ又之を随意科目と為すを得しめたり、然れども本令に於ける高等小学校は従前の高等三四学年なるを以て実際に於て三十三年の令より二年間を減少せるものなり。



   第三章 欧米の小学校に於ける外国語科

        英国―独国―米国―白国(ベルギー)―蘭国(オランダ)―丁国(デンマーク)

 独乙の小学校に於ては漢堡(ハンブルグ)市を除き外国語を授くる所なきに反し

 英国の小学校に於ては普く之を課せり、即ち独語、仏語等の近世語のみならず、ラテンの古語も課せる所あり(乙竹教授)

 米国の小学校に〔於て?〕は之を一般に論じ難きも、「市俄古(シカゴ)小学校にては総て上級生に独乙語を授け余等の見物せる某小学校の此科の授業は一切会話的にて甚だ卓越せるものなりき」と米国現時の教育にいへり

 白耳義(ベルギー)の小学校に於ては仏語、ブレーミッシュ語〔フラマン語〕、独語中の一科を必須科となす。

 和蘭(オランダ)の高等小学校に於ては仏語、独語、英語を課す。

 丁抹(デンマーク)に於ては都会の小学校に於て近隣の外国語を課す。村落の小学校に於ては課せず。

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なお、少し補足を。

1907(明治40)年3月の小学校令改正(翌年度実施)によって、尋常小学校の就学年限がそれまでの4年間から6年間に延長されたため、新たな高等小学校は2年制(まれに3年制)となり、それ以前の4年制高等小学校の3・4学年に相当した。

その結果、高等小学校は中学校と学齢的に並行することになり、袋小路的で差別的な性格が強まった。英語の程度も中学校よりも格段に低かった。

つづく。