希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

懐かしの英語参考書(7)深澤由次郎『応用英文解釈法』

戦前の英文解釈参考書が続いたので、今回は戦前に出版された英文解釈参考書史上「最大・最強」の本を紹介しよう。

深澤由次郎著『応用英文解釈法』(1918〔大正7〕年7月4日初版、有朋堂書店発行)である。

同書は1923(大正12)年の関東大震災によって絶版状態になったが、1930(昭和5)年2月20日に改訂され、通算六版として英文週報社から再刊された。

また、この『応用英文解釈法』の内容を圧縮して、1920(大正9)年5月8日に『最新英文解釈法』が有朋堂書店から刊行された。

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元版である『応用英文解釈法』は、とにかくすごい。
何がすごいかというと、まず分量。
巻頭のINDEXだけで78ページもあり、詳細をきわめている。
本文はなんと1,094ページ。合計1,172ページに達する。

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次いで、その例文の豊富さと体系性。そのための努力。
本書の基本性格は、英語のタイトルA Collection of English Idiomsによく表れている。
深澤は、辞書や他人の著書などに依ることなく、膨大な教科書、入試問題、文学書、各種専門書、新聞雑誌などから用例を集め、系統的に整理・分類したものである。
そのあたりの事情を、彼は「例言」で次のように述べている。

「明治三十五六年、姫路中学校在職当時よりはじめ、四十二年第五高等学校就職後は余暇の全部を挙げて、之が分類研究に充て、前後十余年費やしたものである。而て其中から一般読書子に必要のもの若干を採り、更に書肆の都合に依り、その一部を上梓したものが本書である。」

つまり、この分厚い本は、深澤の用例収集の成果の「若干」であり、さらに「その一部」にすぎないというのである。脱帽。

それでも、本書に収められた類例の大項目は300に近く、それぞれの項目の用例(すべて文)は100を超すことも多い。そのため、用例の総数は4,450以上に達している。
しかも、すべてに和訳と出典が付けられている。註釈も豊富である。

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こう見ると、本書は単なる受験参考書を超えて、高度な学術的研究書とみなすこともできる。
価格的にも、1930年の時点で3円30銭と小野圭次郎の『英文の解釈』の約3倍もしたから、一般の生徒には手が届きにくかっただろう。

こうして、深澤は本書を刊行した2年後の1920(大正9)年に、「受験に必須なるもの百二十余項を選び、用例を精選し、最近の試験問題を加へ」て、INDEX31ページ、本文613ページのコンパクトな『最新英文解釈法』を刊行した。
これには過去18年間の英語入試問題から採った例文も豊富に収められており、受験生にはうれしい。

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では、深澤由次郎とはいかなる人物か。

深澤は1872(明治5)年に山梨県に生まれ、小学校英語教員を養成した東京府立英語伝習所や私立の東京英語学校などで学び、東京専門学校(早稲田大学の前身)を1年余りで中退、奈良県立畝傍中学の教員をしながら、1898(明治31)年に難関の文部省中等教員検定試験英語科に合格した。
翌年には姫路中学に転任し、1909(明治42)年に熊本の第五高等学校に転じ、1920(大正9)年からは早稲田大学に移って1943(昭和18)年の定年まで勤めた。
教え子には受験参考書やラジオ講座講師として名を馳せた西尾孝がいる。
 (『英語教育史資料・5』の大村喜吉氏の稿「深澤由次郎」参照)

姫路中学校で深澤から英語を習った和辻哲郎(哲学者 1889~1960)は、深澤の想い出を次のように書いている。

「深澤先生はいつも和服のしゃれたなりをしていて、教壇では大抵椅子に腰掛けたままで、チョークなどは殆んど使わなかった。その代り読本の内容に関連していろいろと面白い話をされたように思う。耳立つように東京弁を使い、しゃれや皮肉をまじえて、気焔をあげられることもあった。わたくしはこの先生から英語の小説を借りて読んだが、(中略)一気に読み終えることが出来たので、それに勇気を得て、次に読めそうな本を貸して貰いに行った時に、先生の貸し与えられたのが、シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』であった。これは非常に面白くて、最後までハラハラしながら読み通したように思う。多分〔明治〕三十七年の夏休みのことであろう。」(和辻哲郎『自叙伝の試み』中公文庫、1992,pp.398-399)

深澤は、本連載の第5回で紹介した柴田徹士のように、深澤も「文検」合格の自助努力の人だった。

優れた参考書の筆者には、こうした「苦労人」が少なくない。
自分の体験をふまえ、日本人が苦手とするツボを熟知し、学習者の目線で執筆できるからかもしれない。

いずれにせよ、慣用語法研究(Idiomology)を極めた斎藤秀三郎や、『英和活用大辞典』を著した勝俣銓吉郎などとともに、深澤由次郎の名前はもっと記録と記憶に残されなければなるまい。