希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

懐かしの英語参考書(26)清水起正『新英文解釈』(1918)

南日恒太郎の『英文和訳法』(1915)にも協力した清水起正は、入試に出る熟語(idiom)を中心にすえた、受験本位の英文解釈書を著した。

熟語中心・受験本位の清水起正『新英文解釈』(1918)

○ 清水起正『新英文解釈』北星堂、1918(大正7)年5月2日発行。
英題はHOW TO CONSTRUE IDIOMATIC ENGLISH で、広告には『イデオム研究 新英文解釈』とある。
その名の通り、入試によく出る熟語を含む英文を、熟語のABC順に配列したものである。

清水起正は英語学校+受験予備校として有名だった国民英学会の講師。
多作の人で、彼の名前で検索すると、国会図書館に22件、全国の大学図書館等を網羅したWebcatで33件ヒットする。その多くは参考書や訳註書だ。

しかし、なぜかこの『新英文解釈』(1918)はどこにも所蔵されていないようなので、少し詳しく紹介したい。

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「緒言」には、まず「官立学校受験準備用」であることが明記されている。
当時は早稲田や慶應を含め、私立の学校は附属の予科にさえ入れば、ほぼ無試験で入学できたから、競争率の高い「官立」(国立)の学校こそが受験の本命だったのである。

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本書の構成は以下の通り。
本編135頁+訳註の部272頁+熟語索引(英文と和文)21頁。
だが、その前に様々な附録が付いている。それこそが、徹底的に受験本位であるこの本を特徴づけている。

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まず、巻頭には「受験者の心得べき事ども」が十ヶ条にわたって列挙されている。
「試験前日は夜ふかしをするな」とか、「問題用紙はまず全体に目を通せ」とか「ペンは書き慣れたものを使え」とか、なかなかうるさい、いや、親切だ。
僕は、むかし聴いた旺文社のラジオ講座を想い出す。

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続いて、「入学試験問題索引」で、学校別に本書の問題番号が提示されている。

次いで、「修辞法より見たる構文の索引」
本書は熟語のABC順で編集してはいるものの、それだけでは入試構文は捉えきれない。
その限界を補うべく、「省略法」「転倒法」(倒置構文)など9種類の構文別の索引を付けたわけだ。

それでも足りない分を補うべく、なんと11頁、126項目に及ぶ「文法公式」まで付いている。
もちろん、それぞれには本編での問題番号が明記されている。芸が細かい。

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このあたりは、本書の6年前に出た山崎貞の『公式応用 英文解釈研究』(1912)のアイディアをパクったものか。
ただし、英文解釈に「公式」を当てはめる試みは山貞が最初ではなく、1903(明治36)年7月には高野巽著『英文和訳公式』が小川尚栄堂から出ている。

さて、以上の附録を経て本編の例文へと進む。

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出典・出題校や出題年度までバッチリ明記されている。
受験ゴコロをくすぐってやまない。

さらに「訳註の部」。かなり丁寧な解説だ。さすがは予備校講師の筆。

このあと、英語と日本語による詳細な「熟語索引」が付けられている。ありがたい。

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本編および訳註の部の雰囲気は、南日恒太郎の『難問分類 英文詳解』(1903)および改訂版である『英文解釈法』(1905)とそっくり。

南日と山貞の本の良いところを採り、熟語本位・受験本位にしたのが本書の特徴といえよう。

ところで、清水の「受験本位」の姿勢は、本書の改訂版である『入試問題一千題 英文和訳の研究』(1922)では、さらに鮮明になる。

○ 清水起正『入試問題一千題 英文和訳の研究』北星堂、1922(大正11)年2月25日発行。
『新英文解釈』(1918)の改訂版で、英題はSYSTEMATIC METHOD OF ENGLISH-JAPANESE TRANSRATION.
例題は1,010題で、本編と訳註の部が通しページになった。

全ページが近代デジタルライブラリーで読めるので、ここでは特徴を簡単に述べるにとどめたい。

その特徴とは、彼の入試問題=受験英語への肯定的評価があふれていることである。
「緒言」で著者は次のように言う。

「想ふに既往の入試問題なるものは啻(ただ)に温故知新の意味に於て寔(まこと)に有益なるのみならず、実に該問題こそは諸君の先輩たる天下幾十万の競争試験場裡の勇士猛将が、或は之がために天晴巧妙手柄をなし、或は之がために無念の不覚を取り更に臥薪嘗胆以て捲土重来の勇を示さざるを得ざりし悲喜交々至る想出多き敵の攻具たりしなり。之を要するに若し受験準備中にある諸君の万人が万人まで須らくまず研究知悉するを要する英文ありとせば、夫(それ)は斯の入試問題を措いて他に之を求むべからずといふも決して過言ではなからう。」

南日恒太郎の場合は、自著が受験参考書であると見なされることに最後まで躊躇があった。
そのため、清水とは違って、自分の参考書には入試問題の出題校を決して明記しなかった。
さらに、文学的な長文からなる『英文藻塩草』や、英詩を集めた『英詩藻塩草』(ともに1916年)を著すことで、「受験英語」の弊害に抗おうとした。

これとは逆に、清水は入試問題こそ温故知新の意味で「まことに有益」であると肯定的にとらえ、むしろ入試問題から編み、出題校を明記したことを売りにしているようである。

大正期に入ると、受験競争は激化し続け、「受験英語」が一般化してしまった。
のちに駿台予備校を創設する山崎寿春が『受験英語』という雑誌を創刊したのは、1916(大正5)年だった。
1918(大正7)年には久米正雄の小説「受験生の手記」が発表される。
そうした時代の変化が、背景にあるのかもしれない。

受験英語――これは日本の英語教育の「癌」なのか「活力源」なのか。
いつの日か結論が出せるよう、僕はもう少し英語入試と参考書の旅を続けたい。