その前に、大急ぎで紹介したい英語参考書がある。
太平洋戦争下の1942(昭和17)年7月に刊行された甲斐一郎著『英文分析解釈法』(建設社)である。
太平洋戦争下の1942(昭和17)年7月に刊行された甲斐一郎著『英文分析解釈法』(建設社)である。
また、太平洋戦争期には徴兵猶予の特典のある高等教育機関(特に理系)に入っておかないと、戦地に引っ張られる恐れが高かった。
だから、太平洋戦争の始まった1941(昭和16)年ごろから、入試の志願者・倍率は急上昇した。
(グラフは竹内洋『学歴貴族の栄光と挫折』より引用)
だから、太平洋戦争の始まった1941(昭和16)年ごろから、入試の志願者・倍率は急上昇した。
(グラフは竹内洋『学歴貴族の栄光と挫折』より引用)
本書は、こうした時代背景の下で発行されたのである。
「自序」には以下のように書かれている。
こんなことを書かないと、英語参考書の出版が難しかったのかもしれない。
「自序」には以下のように書かれている。
こんなことを書かないと、英語参考書の出版が難しかったのかもしれない。
「日本が英米と戦争状態に入りし以上英語の必要なし、此を全廃す可し、と論ずるものがある。彼等の議論を著者は浅薄皮相と見る。(中略)英米其の他英語を使用する国民は、積る悪業の為に今や凋落の運命を辿って居るが、(中略)彼等が亡びても、彼等英語民族は残る筈にて、あまり遠くない将来に於て日本が彼等を征服して、彼等をして皇国に懐しめる時期は必然として来る。その時に於ても英語の必要なしと云ふか。」
なんとも勇ましいが、実際には、この3年後に日本は降伏。
まったく違う意味で「英語の必要」が生じた。
まったく違う意味で「英語の必要」が生じた。
その上で「練習編」へと進み、はやり文構造が「分析」され、適訳に進むためのガイダンスがなされている。
僕はここに、日本語とは大きく異なる英語の構造をわかってもらおうとする著者の真摯な姿勢を感じる。
今日では、こうした「分析」によって立ち止まることなく、いわんや後ろから前へと戻ることなく、頭から直読直解すべしという指導が多い。
また、日本語に訳してはいけない、などという主張も多い。
昨年12月末に出た文科省の「高校学習指導要領(外国語)解説」でも、「英語に関する各科目の授業においては、訳読や和文英訳、文法指導が中心とならないよう留意し」と述べている。
昨年12月末に出た文科省の「高校学習指導要領(外国語)解説」でも、「英語に関する各科目の授業においては、訳読や和文英訳、文法指導が中心とならないよう留意し」と述べている。
現場知らずもはなはだしい。
少なくとも、高校レベルの高度な英文の場合、訳読や文法指導に時間を割かずに「英語でコミュニケーションを行う機会を充実」させれば(しかも週にたった数時間で!)英語力が付くなどというのは悪質な冗談か、素人の幻想である。
本気で英語力を獲得しようとした人間の言葉とは思えない。
少なくとも、高校レベルの高度な英文の場合、訳読や文法指導に時間を割かずに「英語でコミュニケーションを行う機会を充実」させれば(しかも週にたった数時間で!)英語力が付くなどというのは悪質な冗談か、素人の幻想である。
本気で英語力を獲得しようとした人間の言葉とは思えない。
トップエリートだけが入学を許され、しかも英語の時間が週6~7時間あった旧制中学校ですら、「授業は英語で」行うパーマーのオーラル・メソッドは定着しなかった。
歴史から学ばない人たちが政策を立案するから、単なる「思いつき」の域を出ないのである。
歴史から学ばない人たちが政策を立案するから、単なる「思いつき」の域を出ないのである。
私がこのブログで、英文解釈に関する先人たちの努力の跡をたどっているのは、こうした悪質な冗談や素人の幻想と闘うためである。
子どもたちを犠牲にしないために。
(ただし、「訳読」という慣れ親しんだ方法だけに頼り、授業の改善・工夫に取り組もうとしない怠慢な教師も同罪である。念のため。)
子どもたちを犠牲にしないために。
(ただし、「訳読」という慣れ親しんだ方法だけに頼り、授業の改善・工夫に取り組もうとしない怠慢な教師も同罪である。念のため。)
太平洋戦争下の困難な状況下でも、時局の制約はあったが、生徒たちのために英語の参考書を刊行した人がいた。
「授業は英語で行う」などというタワゴトを指導要領に書く人は、その爪の垢でも飲んで、太平洋よりも深く反省すべきであろう。
*高校新指導要領に対する私の批判については、過去ログを参照してください。