希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

懐かしの英語参考書(8)太平洋戦争下の『英文分析解釈法』

明日から3連休。
なのに、この3日とも日本英語教育史学会の月例会や役員会に出席するため上京・・・。
→例会案内

その前に、大急ぎで紹介したい英語参考書がある。
太平洋戦争下の1942(昭和17)年7月に刊行された甲斐一郎著『英文分析解釈法』(建設社)である。

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本文651ページの分厚い参考書。価格も3円80銭と高い。
厳しい用紙統制の時局下で、よくぞ出版できたものだ。
とはいえ、発行部数はたったの1,500部。
国会図書館にも無いようで、幻に近い参考書だ。

米英と交戦した太平洋戦争下では、英語は敵国語とされた。
英書を読んでいた人が、スパイ扱いされた例もある。

だが、高等教育機関はもとより、小学校(当時は国民学校)の高等科や中等学校などでも英語が教えられていた。
一部の理系を除き、ほとんどの高校・高専の入試では英語も課されていた。

また、太平洋戦争期には徴兵猶予の特典のある高等教育機関(特に理系)に入っておかないと、戦地に引っ張られる恐れが高かった。
だから、太平洋戦争の始まった1941(昭和16)年ごろから、入試の志願者・倍率は急上昇した。
(グラフは竹内洋『学歴貴族の栄光と挫折』より引用)

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本書は、こうした時代背景の下で発行されたのである。
「自序」には以下のように書かれている。
こんなことを書かないと、英語参考書の出版が難しかったのかもしれない。

「日本が英米と戦争状態に入りし以上英語の必要なし、此を全廃す可し、と論ずるものがある。彼等の議論を著者は浅薄皮相と見る。(中略)英米其の他英語を使用する国民は、積る悪業の為に今や凋落の運命を辿って居るが、(中略)彼等が亡びても、彼等英語民族は残る筈にて、あまり遠くない将来に於て日本が彼等を征服して、彼等をして皇国に懐しめる時期は必然として来る。その時に於ても英語の必要なしと云ふか。」

なんとも勇ましいが、実際には、この3年後に日本は降伏。
まったく違う意味で「英語の必要」が生じた。

本書はまず文法シラバスによる「基礎編」から始まる。
英文の構造が、タイトル通り「分析」的に扱われている。

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その上で「練習編」へと進み、はやり文構造が「分析」され、適訳に進むためのガイダンスがなされている。

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僕はここに、日本語とは大きく異なる英語の構造をわかってもらおうとする著者の真摯な姿勢を感じる。

今日では、こうした「分析」によって立ち止まることなく、いわんや後ろから前へと戻ることなく、頭から直読直解すべしという指導が多い。

また、日本語に訳してはいけない、などという主張も多い。
昨年12月末に出た文科省の「高校学習指導要領(外国語)解説」でも、「英語に関する各科目の授業においては、訳読や和文英訳、文法指導が中心とならないよう留意し」と述べている。

現場知らずもはなはだしい。
少なくとも、高校レベルの高度な英文の場合、訳読や文法指導に時間を割かずに「英語でコミュニケーションを行う機会を充実」させれば(しかも週にたった数時間で!)英語力が付くなどというのは悪質な冗談か、素人の幻想である。
本気で英語力を獲得しようとした人間の言葉とは思えない。

トップエリートだけが入学を許され、しかも英語の時間が週6~7時間あった旧制中学校ですら、「授業は英語で」行うパーマーのオーラル・メソッドは定着しなかった。
歴史から学ばない人たちが政策を立案するから、単なる「思いつき」の域を出ないのである。

私がこのブログで、英文解釈に関する先人たちの努力の跡をたどっているのは、こうした悪質な冗談や素人の幻想と闘うためである。
子どもたちを犠牲にしないために。
(ただし、「訳読」という慣れ親しんだ方法だけに頼り、授業の改善・工夫に取り組もうとしない怠慢な教師も同罪である。念のため。)

太平洋戦争下の困難な状況下でも、時局の制約はあったが、生徒たちのために英語の参考書を刊行した人がいた。

「授業は英語で行う」などというタワゴトを指導要領に書く人は、その爪の垢でも飲んで、太平洋よりも深く反省すべきであろう。

*高校新指導要領に対する私の批判については、過去ログを参照してください。