希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

懐かしの英語参考書(9)青木常雄の英文解釈書(その1)

3連休は英語教育史学会の論文審査委員会、理事会、研究例会、飲み会で東京。

戻るとすぐに、月刊『英語教育』3月号のために寺島隆吉先生の『英語教育が亡びるとき:「英語で授業」のイデオロギー』(明石書店)の書評を書く。先ほど編集部に送った。ふー。
それにしても、素晴らしい本である。一読をぜひお勧めしたい。

ということで、久しぶりとなったが、「懐かしの英語参考書」を再開したい。
東京の研究会の折にも「あのブログの参考書シリーズ、面白いですね!」などと言われ、すっかりやる気を出している。(^_^;)

大御所・青木常雄の英文解釈参考書(1)

さて、今回は青木常雄の2つの英文解釈参考書のうち、1つ目。
福井保との共著『新制 英文解釈精義(改訂版)』培風館、1951(昭和26)年初版、1956(昭和31)年10月改訂。写真(左)は1959(昭和34)年6月30日発行の改訂第8刷。

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青木常雄(1886-1978)といえば、戦前からの英語教育界の重鎮だ。
茨城県に生まれ、1910(明治43)年に東京高等師範学校英語部を卒業。研究科、専攻科も修了して、1914(大正3)年に東京高等師範学校講師、1920(大正9)年に教授。1930(昭和5)年から東京文理科大学の講師を兼務した。
戦後の学制改革東京教育大学教授。1950(昭和25)年の定年とともに東洋女子短期大学教授に就任し、1970(昭和45)年の定年後も1977(昭和52)年まで「英語科教育法」の授業を嘱託された。
卒業生の就職や転任の世話を行い、その弟子たちは全国の英語教育界で活躍した。

そんな青木の参考書だけに、見逃すことはできない。

「改訂版 はしがき」(1956年)は、時代の雰囲気を伝えている。ちょっと紹介しよう。

「戦後における英語教育の目標は、生きた言葉としての英語を正しく学習させることにおかれている。すなわち聞く、話す、読む、書くの四つの方面にわたって平均にむらなく学ばせることに重点がある。」

 →なんのことはない。21世紀の今と一緒だ。

「『和訳から解釈へ』、この言葉が最近の動向を最も端的に物語る。そこではバラバラに覚えた単語や成句の威力は発揮できない。(中略)代わって登場したのは、数百語、数パラグラフにわたる長文である。そこに盛られている思想を果たして正しく把握したか、またそれぞれに対してどんな批判力をはたらかしたか、などをテストするのである。」

 →長文化はその通りだが、「思想を果たして正しく把握したか」「どんな批判力をはたらかしたか」などは、今日では失われつつある側面だ。

「われわれは外国語として英語を学んでいるのであって、英語を母国語とする人々の学習法を全面的に採用することはできない。多少の難はあっても、文法に一応頼ることは捷径〔=近道〕であろう。」

 →高校の科目から「英文法」を削除し、今度の指導要領では「リーディング」も「ライティング」も削除してしまった文部科学省の役人や一部学者の諸君、よく聞いておけよ! 
そして、海より深く反省しろ! 
本の学校では「第二言語」(ESL、生活英語)としてではなく、あくまで「外国語」(EFL、学習言語)として英語を学んでいる。基本原則だ。生徒の深刻な英語力低下の責任をどう取る気だろう。
(寺島先生の本を読んだためか、つい興奮してすみません。<m(_ _)m>)

さて、本書は基礎研究編と研究応用編に分けられているが、英文解釈の類書にないのは、研究応用編「第六章 英語で発表する」であろう。

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英語で発表するためには、正しい朗読法が必要である。
そこで、続く第七章はなんと「文の読み方」である。
さすがは『英文朗読法大意』(1933)を書いた青木だけのことはある。

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それにしても、なぜこんな「英語で発表する」や「文の読み方」が「英文解釈」の参考書の入っているのか。

実は、ここに青木常雄のポリシーがある。
再び「改訂版 はしがき」に戻ろう。

「読む書くためにも聞き話すことがたいせつなのである。元来この四つを別々に考えるのがおかしいのであって、もともと一体不可分のものであり、それが生きた言葉なのである。したがってよく読める、よく書けるとは、当然よく聞ける、よく話せることを意味している。」

うーん、なかなかの哲学だ。
そんな哲学を、青木はこの参考書で実践した。しかも入試問題まで巧みに使って。

たかが参考書、されど参考書。
甘く見ることはできない。