希望の英語教育へ(江利川研究室ブログ)2

歴史をふまえ、英語教育の現在と未来を考えるブログです。

懐かしの英語参考書(29)小野圭次郎の英文解釈(3)

小野圭『英文の解釈』の変遷(1)

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          晩年の小野圭次郎(『新制 英語の文法研究法』1951年版より)

小野圭の『英文の解釈』は1921(大正10)年の発売から快進撃を続け、少なくとも10回は改訂されながら、1970年代まで発売されていた。

○ 〔第2改訂〕『最新研究 英文の解釈 考へ方と訳し方』山海堂、1924(大正13)年9月15日に訂正版(通算50版)を発行。
 *マイナーな訂正のようだ。

○〔第3改訂〕『増訂新版 最新研究 英文の解釈 考へ方と訳し方』山海堂、1929(昭和4)年10月4日発行(初版からの通算244版、以下同じ)。

「増訂新版に就いて」では、増訂版の特徴として最初に「巻頭に英訳教育勅語を謹載したること」と書いている。しかし、前回紹介したように、実際には改訂直前の1929(昭和4)年2月20日発行の訂正228版には載っている。

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問題の差し換え数などが細かく記されている。
しかし、全体的には、構成等に大きな変更はない。

注目されるのは、小野圭『英文の解釈』の人気ぶりを堂々と載せていることである。
たとえば、大阪高等学校在校生が入学前に使用した英文解釈参考書のうち51%の者が本書を利用し、次点は17%だった云々。

南日恒太郎『英文解釈法』(1905)から70種類以上の類書が出たが、240版以上を重ねたのは本書のみ。次点は130余版に過ぎない云々。

こうして、小野圭は自分で自分の「伝説」を再生産していく。プロパガンダの面でも卓越していたのである。

そのことは、本書に掲載されている「英語参考叢書完成に就いて」を見ても明らかである。
これには、小野が山海堂から小野圭シリーズ(英語参考叢書全10巻)を刊行するに至った経緯、著述の方針、文体の特徴、使用状況(シェア)、山海堂との関係が赤裸々に書かれている。

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そして、ここでもまた自分の本の圧倒的な人気ぶりを数字を挙げて誇示している。

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自分の著書の中で自分のことを赤裸々に語り、読者(受験生)との心理的距離を縮めていく。
さらに、自分の本がいかに多くの読者を獲得しているかを示して、持っていない受験生に不安感すら与える。このスタイルもまた、懇切丁寧な記述とともに、旺文社の赤尾好夫に引き継がれる。

普通の本は改訂のたびに「改訂第1版」などと1から版数を数えるのだが、小野圭は初版から通し番号を打っている。そのため、100版、500版、1000版となり、「すごい!」という心理になる。
ただし、旺文社(赤尾)の場合には版次を隠し、そっけなく「重版」としか記載しないのだが。

このあと、小野圭は戦前に以下の改訂を行う。

○〔第4改訂〕『最新研究 英文の解釈 考へ方と訳し方』山海堂、1939(昭和14)年10月発行555版。 447+24+23頁

○ 〔第5改訂〕『最新研究 新制 英文の解釈研究法』山海堂、1943(昭和18)年9月発行。
4+6+448+24頁
サイズが、それまでの新書版から四六版に大きくなった。
タイトルの「新制」は、一見すると1947(昭和22)年度以降の新学制を連想させるが、この戦時版に付けられていたことに注意されたい。

この第5改訂版が出た翌年の1944(昭和19)年11月から、東京は米軍による本格的な空襲にさらされる。
しかし幸いにも、小野圭の参考書の紙型は東京を離れ、山の中に疎開していた。
おかげで、あの激烈な東京大空襲の難を免れることができた。

かくして、1945年8月の敗戦後も「小野圭」は生き続けるのである。

(つづく)