すでに見てきたように、日本では「英文解釈」の参考書が発達し、その技術が研ぎ澄まされてきた。
その背景には、明治期から入試での「英文解釈」の得点が合否を大きく左右したという事実がある。
その背景には、明治期から入試での「英文解釈」の得点が合否を大きく左右したという事実がある。
配点は時代によっても学校種によっても異なるが、おおむね英語の総得点の3分の2は「英文解釈」に配当されていたといわれる。
なお、戦前は中等学校から高等学校ないし大学予科に入るのに厳しい入試が待ちかまえており、高校(または大学予科)に入ってしまえば、その上の帝国大学にはほぼフリーパスで入れた。
旧制高校は帝国大学の「教養部」だったのである。
旧制高校は帝国大学の「教養部」だったのである。
この年の高校は全国でたった7校。志願者4,076人のうち、合格できたのは1,480人で、競争率は2.75倍。
一番人気の第一高等学校(東大教養学部の前身)は競争率6.03倍とダントツで、第七高等学校(鹿児島)になると0.99倍と定員割れだった。
一番人気の第一高等学校(東大教養学部の前身)は競争率6.03倍とダントツで、第七高等学校(鹿児島)になると0.99倍と定員割れだった。
But it is hard to know them from friends, they are so obsequious and full of protestations; for a wolf resembles a dog, so doth a flatterer a friend.
著者はSir Walter Raleighで、Instructions to his Son and to Posterity (published 1632) の
Chapter III.だ。
この17世紀の英文をアレンジして出題したことがわかる。
僕はいま大学院生と、こうした「科学的」な分析をせっせと続けている。
Chapter III.だ。
この17世紀の英文をアレンジして出題したことがわかる。
僕はいま大学院生と、こうした「科学的」な分析をせっせと続けている。
次いで英作文。当時は「国文英訳」と呼ばれていた。
英文解釈と合わせて、試験時間は3時間ほど。じっくりと、全ての知力を出して答案を仕上げたことだろう。
英文解釈と合わせて、試験時間は3時間ほど。じっくりと、全ての知力を出して答案を仕上げたことだろう。
鉛筆で答案の書き込みがあるが、それを見る限り・・・「微妙」だ。
この人はうまく受かったかな?
第一高等学校で受験したようだが、第一志望が無理な場合、他の高校にまわされる場合も多かった。
「受験者心得」や「答案の作り方心得」も資料的な価値があると思うので、載せておこう。
なお旧制高校のコース分けは次の通り。
第一部は文系で、甲は第一外国語が英語、乙がドイツ語、丙はフランス語
第二部は理系で、甲は工科、乙は理科・農科・薬科、丙は医科
この受験生は「第二部甲類」なので、工学系の志願者だ。
当時の入試は7月、高校や大学の入学は9月だったから、中学を3月に卒業してから、約3カ月を受験勉強に集中できた。
頑張っている君に、心から応援のエールを送りたい。