先のOECD報告でも、日本の学校格差の大きさが指摘された。
日本では、どの高校(最近では中学も)に入学するかで、その後の進路が大きく左右されてしまう。
なんとか是正したいものだ。
ところで、戦前は高校にさえ入学すれば、ほぼ自動的に帝国大学に進学できたから、激烈な受験競争は中学と高校(あるいは高等専門学校)の間で起こった。
では、どのような中学が受験の「名門」だったのだろう。
その一端を知る資料を入手した。
雑誌『受験戦』1936(昭和11)年6月号に写真(サムネイル)のような記事があった。
旧制一高(現・東大教養学部)への合格者上位リストである。
1位 38名 東京府立一中(現・日比谷高校)
2位 29名 東京府立四中(現・戸山高校)
3位 21名 東京府立五中(現・小石川高校)
4位 16名 兵庫県立神戸一中(現・神戸高校)
5位 12名 東京高等師範学校附属中(現・筑波大学附属中・高校)
6位 7名 東京府立三中(現・両国高校)
これを見ると、東京の公立優位で、戦後の1960年代までの勢力地図とあまり変わらないようだ。
それにしても、地方では神戸一中が例外的に旧制一高に強い。ぼくの尊敬する國弘正雄先生の母校だ。
いまや兵庫県でも灘高などの私立が進学実績の上位を占めているが、1970~80年代頃からなぜ私立が優位を占めるようになったのか、本格的な研究はないものか。